墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

将軍山古墳(さきたま古墳群) 埼玉県行田市大字埼玉

丸墓山古墳見学後は、古墳公園東端にある将軍山古墳へ。

近づくと長方形の大きな周溝が。 中堤のある二重周溝。

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道路沿いの説明板。

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将軍山古墳
全長90mの前方後円墳です。明治27年(1894)に横穴式石室が発掘され、多数の副葬品が出土しました。この石室には、千葉県富津市付近で産出する「房州石」が用いられており、古墳時代の関東地方における地域交流を考える上で貴重な古墳です。
周囲には長方形の堀が中堤をはさんで二重に巡り、後円部と中堤には造出しと呼ばれる張り出しがあります。稲荷山古墳・二子山古墳と同じ形態です。古墳の造られた時期は、出土した遺物から6世紀後半と推定されています。
平成21年(2009)3月 埼玉県教育委員会

 

前方部の先端側。この墳丘には上がれない。さきたま古墳群の中で登れるのは稲荷塚古墳と丸墓山古墳のみ。

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東側面に回り込んでいくと、後円部内部への入り口がある。

崩壊していた東半分を復元し、後円部の中に博物館(埼玉県立さきたま史跡の博物館別館)がつくられている。

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基本は本館で入場料200円を納め、こちらの入口でその観覧券を見せる手順となっている。2階に上がるとガラスケースの向こうに復元玄室が。

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足元側から。棺部分は被葬者を見えやすく作ったのだろう。

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石室に関する解説。

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将軍山古墳は、埼玉古墳群で初めて横穴式石室を採用した古墳です。石室は石積みで造られ、棺を納めるための長方形の玄室と、外部から玄室に通じる羨道で構成されています。
側壁の石は、120kmも離れた千葉県富津市の海岸で採取されたと考えられる「房州石」が使用され、天井には埼玉県長瀞町付近から採取される、大きな板状の緑泥片岩を使用していました。
現在は石積みも最下段だけが残り、ほかの部分の石は石室周辺の土とともに消失していました。また、羨道も全長の半分以上が失われています。
将軍山古墳の横穴式石室は、明治27年(1894)に最初の発掘が行われ、多数の豪華な遺物が出土していることで知られています。
しかし、遺物の多くは破損し、腐食していることから、これらの遺物の復原模型を製作し、石室内に副葬された当時の状態を想定して配置し、埋葬の様子を再現してみました。
遺体の安置には木棺が使われ、鏡・金環・玉・大刀は棺の中に納められます。矛や矢は棺の周辺に、銅椀や須恵器などの容器は棺の手前に置かれ、甲・冑などの武具、鞍・鐙などの馬具は各々がまとまりをもって置かれたと推定されます。
副葬品には時間差が認められることから、追葬が行われたことが考えられます。その際には古い副葬品は隅にかたづけられたようです。

 

房州石は実物(?)が1階に展示されていた。

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石室に使われた「房州石」
将軍山古墳の横穴式石室には、表面にたくさんの穴が開いている房州石と呼ばれる石が壁石に使用されています。
この石は、千葉県富津市にある鋸山周辺の海岸にみられる凝灰質砂岩の表面に、貝が棲み込むための穴を開けたものです。今でも穴の中に貝殻が残っていることがあります。
房州石は、東京湾から川をさかのぼって運ばれたと考えられます。採取地より120㎞も離れた古墳に使われていることは、将軍山古墳の築造者の強大な権力と房総地方との政治的なつながりが想定できます。
展示している房州石は、石室に使われていたものと同じ石です。

 

房州石を使った古墳の分布図。赤羽台4号墳や立石様、柴又八幡神社古墳、金鈴塚古墳や野毛大塚古墳なども。 

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武具や馬具の解説。 

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将軍山古墳から発見された馬具には、騎乗に必要な轡・鞍・鐙、馬を飾るための鏡板・辻金具・鈴・杏葉・雲珠・蛇行状鉄器、戦いの際に馬の頭を保護する馬冑があります。
これらの馬具の中で、馬冑と蛇行状鉄器は全国的に発見例が少ない貴重な資料です。蛇行状鉄器は、鉄棒を数段にわたって折り曲げ、一方を二股に作って鞍に装着し、片方の端に旗竿を差し込んだものです。
この使用例は埴輪や朝鮮半島の古墳の壁画にみることができます。

将軍山古墳からは鉄製の挂甲と衝角付冑が出土しています。これらは敵の攻撃から身を守るための防具です。
挂甲は約900枚の小札とよばれる孔の開いた細長い小さな板を、紐や革で綴じ合わせて作る「よろい」です。
衝角付冑の頂には、三尾鉄とよばれる後方に3本の枝が出る小さな部品が付き、ここには、威容を現すために鳥の羽をつけていたようです。
想定図のように、頸・肩・腕を守るための装具が出土する例もあり、これらで武装すると30kg近い重量になります。

 

1階には実物大の騎馬像も。 

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蛇行状鉄器を。

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くにゃりと曲がる部分にも意味(おしゃれ?)があったのだろう。