墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

二子山古墳(さきたま古墳群) 埼玉県行田市大字埼玉

将軍山古墳で石室を見た後は、すぐ南側にある二子山古墳へ。 

f:id:massneko:20201003094200p:plain

 

さきたま史跡の博物館にあった航空写真。二子山古墳が中央に写っている。

将軍山古墳とは、外堀の外周同士で見ればほぼ接している。

f:id:massneko:20201010093541p:plain

 

後円部北側にあった説明板。左の中堤の造り出しは、上記の写真でも確認できる。

f:id:massneko:20201006170529p:plain

二子山古墳
全長138mの前方後円墳です。かつての「武蔵国」(埼玉県、東京都、神奈川県の一部にあたる)で最大の古墳です。
周囲には、長方形の堀が中堤をはさんで二重に巡り、墳丘くびれ部と中堤には造出しと呼ばれる張出しがあります。現在は遊歩道になっている高まりが中堤にあたります。内堀は、今は水堀になっていますが、古墳が築造された当時は水はなかったと考えられています。
本格的な発掘調査はされていないため、埋葬施設の形や大きさ、副葬品の内容など、詳しいことはまだわかっていません。出土した埴輪の形から、古墳の造られた時期は、6世紀初め頃と推定されています。
平成20年(2008)3月 埼玉県教育委員会

 

説明板の右上のQRコードで、博物館作成による解説にもアクセスできる。こちらによれば二子山古墳の全長はは約132m。

④二子山古墳 - さきたま史跡の博物館(散策サイト)

 

上記の解説によれば、平成29年度から本格的な発掘調査が始まり、埴輪や土器が出土しているそうだ。発掘中の写真も掲載されている。 

f:id:massneko:20201006170140p:plain

 

看板の上に手を伸ばして墳丘を。左が後円部、右が前方部。 

f:id:massneko:20201006170214p:plain

 

7年前に来たときは、水濠を埋め立てる前だった【2013年5月】

f:id:massneko:20130519155624j:plain

 もともと水堀では無く、昭和43年の整備で水堀として復元されたものだった。

八幡山古墳 埼玉古墳群 - 墳丘からの眺め

 

前方部の先端あたり。

f:id:massneko:20201006170241p:plain

 

前方部左裾から後円部方向。中央に、くびれ部から突き出た、造り出し見える。

f:id:massneko:20201006170304p:plain

 

二子山古墳は西側に広場が保全されていて、真横からの「二子山」の感じを味わうことが出来る。

f:id:massneko:20201006170404p:plain

Wikipediaによれば、後円部径67.0m・高さ11.7m、前方部幅83.2m・高さ13.7mで、前方部の方が少し高い。

 

真横から、パノラマでなくとも収まった。

f:id:massneko:20201006170430p:plain

 

くびれ部と白鷺。 

f:id:massneko:20201006170502p:plain

 

南側の道路から、前方部先端を。

f:id:massneko:20201010084826p:plain

 

墳丘の東側にも園路があった。 

f:id:massneko:20201010085033p:plain

 

前方部右裾からの雄姿。

f:id:massneko:20201010085228p:plain