丸墓山古墳は稲荷山古墳のすぐ西側約200m(周溝同士なら25mほど) に立地。
麓や墳頂には桜が植えられている。
墳裾の説明板。
丸墓山古墳
直径105mあり円墳では日本最大です。墳丘は埼玉古墳群の中で一番高く、約19mあります。墳丘につかわれた土の量は二子山古墳より多かったという試算もあります。出土した埴輪から、6世紀前半こごろに築かれたと推定されています。埋葬施設の内容は、現在のところ確認されていません。
南側から古墳にいたる道は、1590年に石田三成が忍城を水攻めにした時に築いた堤防の跡といわれている「石田堤」です
水攻めの際には、古墳の頂上に陣が張られました。
平成19年(2007)埼玉県教育委員会
3年前(2017年)に、奈良県の富雄丸山古墳(4世紀後半築造)の直径が上回ったとの計測結果が出ている。
https://www.asahi.com/articles/ASKCH5FM0KCHPOMB00L.html
とはいっても、109mと105mで僅差だと思います。
丸墓山古墳は高さ19m。人の手で造ったとは思えない「山」です。
もし横穴式石室があるのなら、相当大きいでしょう。
ルート脇にヒガンバナ。
墳頂に到着。
桜の木が複数本。
6年前には開花の時期に訪ねましたが、登った瞬間に春の嵐に遭遇【2014年4月】
満願寺、八幡山古墳、さきたま古墳群(再訪) - 墳丘からの眺め
墳頂から北西方向。
ズームすると忍城の御三階櫓(復元)
東側には船団を組むように稲荷山古墳(左)と将軍山古墳(右奥)
稲荷山古墳。後円部の先には、
将軍山古墳との間の広場にある円形の植え込みは、かつてそこにあった円墳を現わしている。
右端の木立の陰に、二子山古墳の後円部の先っちょも写っていました。
南側に降りる階段。
その先に、石田光成が忍城水攻め時に造ったとされる石田堤が続く。
丸墓山古墳を南側から。
石田堤から。奥が丸墓山。
堤の脇に、白いヒガンバナが植わっていた。