志布志湾岸の古墳を見学した後、都城を経由して宮崎空港へ向かう。
都城から高速に乗る前に、市内に残る古墳を2か所だけ訪ねた。
都城は大淀川上流の盆地で、街の東・西・南から川が集まって北へ抜けている。
市のサイトによれば、 都城盆地は70万年前から全体が湖となっていたが、3万年前の姶良カルデラ(錦江湾の海底火山)の噴火による火砕流で埋まってしまったそうだ。
その後も鬼界カルデラ噴火(約7300年程)、霧島御池の噴火(約4600年前)などの影響を受けている。
https://www.city.miyakonojo.miyazaki.jp/site/jidaibunkazai/1710.html
古墳時代にフォーカスすると、盆地北部を中心に古墳群が形成され、高崎塚原(たかざきつかばる)、志和池(しわち)、高城牧ノ原(たかじょうまきのはる)では前方後円墳もみられる。九州南部で最も内陸部に進出した前方後円墳となるそう。
古墳群には地下式横穴墓が多いが、板石積石棺墓(分布域の東端にあたる)や箱式石棺墓(内陸部には数少ない)等、さまざまな墓制が混在し、各地の文化が行き交っていた様子をうかがい知ることができるとのこと。
https://www.city.miyakonojo.miyazaki.jp/site/jidaibunkazai/3767.html
都城古墳は中心街の1㎞西、 大淀川左岸台地上にあった。
川からの比高差25m(標高160m)ほど。
普通の住宅街の中に、円墳が残っていた。
周囲の家一軒分ぐらいの地割に。
道路は西側にあり、東に向かって傾斜する土地。
墳頂に上がらせていただいてに道路側を。
そこから右(北)方向を。
東方向。
現地説明板は無かったが市のサイトによれば、都城古墳は都城盆地の中央部における唯一の高塚古墳。宮崎県の史跡に指定されている。
大正12年(1923)の道路工事で地下式横穴墓と考えられる空洞が見つかり、中から腐食した武具や太刀などが出土したと伝えられていて、この円墳にも地下式横穴墓があると推測されているとのこと。
https://www.city.miyakonojo.miyazaki.jp/site/bunkazai/3814.html
古墳ではないが、都城市市民会館跡にも立ち寄った。解体工事が終了したばかりの、ただの更地だったが。
ストリートビューにて、解体前の建物が見られる。
菊竹清訓が設計し、1966年に竣工した「メタボリズム建築」の代表作で、1400席の大ホールを有し、40年以上にわたって都城市の文化振興拠点として利用されたが2006年に後継の文化ホールが出来て2007年3月に閉館、2019年7月に解体工事が始まって2020年3月に完了したばかりだった。
森美術館での「メタボリズムの未来展」(2011年)の解説には、建築におけるメタボリズムとは「環境にすばやく適応する生き物のように次々と姿を変えながら増殖していく建築や都市のイメージ」とある。
https://www.mori.art.museum/contents/metabolism/about/index.html
下記のサイトによれば旧都城市民会館は、鉄筋コンクリート造の下部構造が「変わらない部分」で、その上に「変わる部分」として鉄骨造の屋根をふわりと架けているところがメタボリズム。
トラス梁を扇のように広げる屋根構造は、地盤が悪く基礎杭を集中させる必要からだったそうだ。
https://casabrutus.com/special/japanese-modern-architecture55/052
実物を見たかった…