墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

常心塚古墳 宮崎県西都市大字上三財

宮崎空港で車を借りて、最初に向かったのは常心塚(じょうしんづか)古墳。

この日は西都原古墳群を主に見ようと思っていたので、南西に7㎞ほどにあるこの国史跡から西都原へと近づいていくことにした。

 

グーグルマップに導かれていくと畑の中にぽつんと墳丘が。

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堤に囲まれた立派な方墳で、国史跡。

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周囲は畑で見通しがよい。

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詳しい現地説明板。7世紀前半頃の方墳とのこと。

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国指定史跡 常心塚古墳
常心塚古墳は、三財川北側の常心原(じょうしんばら)台地面に所在します。現在、周囲は畑作地帯で、高塚墳は常心塚古墳のみ確認でき、眺望に優れています。
昭和55年(1980)3月に国史跡に指定されました。
墳形は方墳で、墳丘は2~3段築成と推測されます。
平成14年(2002)の県営農道整備事業に伴い、墳丘南側に隣接し通る農道を西都市教育委員会が発掘調査した際、外堤外側に周溝を確認しました。墳丘に対する発掘調査は行われていません。
大きさは南北で25m、東西で23.8mを測ります。
この古墳は墳丘の周囲に沿って廻る外堤をもち、外堤間は南北で約40m、東西で37.5mを測ります。
古墳が造られた時期は、外堤外側に廻る周溝の一部を掘削した際に出土した須恵器破片の特徴から7世紀前半頃と考えられます。
7世紀になると、巨大な前方後円墳造りは終焉を迎え、首長墓として内部主体に横穴式石室や横口式石槨を採用した、大型の円墳や方墳が全国的に造られるようになります。
このような古墳を終末期古墳と呼び、常心塚古墳の内部主体も横穴式石室と推測されます。
また、「常心塚」という名前は、古墳やそれが造られた時代とは関係なく、後世に常心という僧侶が古墳の中に入り、即身成仏を遂げたという伝説があり、その僧侶の名に由来するものです。
常心塚古墳の南には常心原地下式横穴墓群が所在し、現在8基の地下式横穴墓が発見されています。
それらは5世紀末~7世紀前半に造営され、常心塚古墳を造った首長の先祖や母体になる集団かもしれません。
西都市教育委員会 平成21年3月

 墳名の由来に少したじろいだ。

 

 

近くにある常心原横穴墓群の発掘時写真も載る。

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付近の古墳の数は、かなり多い。地下式横穴墓群は、おそらく現地を見ても遺跡とは判らないであろうと思い立ち寄らなかった。

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地元小学生による、わかりやすい説明もあった。頼もしい!

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常心塚古墳(じょうしんづかこふん)
どんな古墳なのかな?
・形は方墳(正方形)で、周りに土塁があり、全国でも数の少ない珍しい形です。一辺が約24mです。
・埋葬されている人はだれか分かっていませんが、西都市国富町の境を治める力のある人がねむっているのではないかと考えられています。
古墳時代の終わり(7世紀)につくられ、横穴式石室の可能性が高いと考えられています。

どうして「じょうしん」という名前なの?
むかしむかし、上三財の福王寺というお寺に「常心」というお坊さんがいました。常心さんは、自分の命がもうすぐ終わることをさとり、この古墳の中に入って最後の修行をして亡くなったと伝えられています。
常心さんを慕った人々はこの古墳に常心さんの名前をつけたそうです。
常心塚古墳がこれまで私たちや三財地区を見守ってくれたように、私たちもこの三財の宝を守り続けます。
令和元年度 西都市立三財小6年生作成

 

方墳を囲むように周堤が巡るが、祠への階段前の南東側の辺が一部途切れている。

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階段前から左側。

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右側。

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墳頂の祠に参拝。

墳丘の発掘は行われていないとあるが、この下に横穴式石室が埋まっているのだろう。…常心さんも?

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祠を背面から。

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振り返っての北西側の眺め。手前は周堤。

 

パノラマで。

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北東側の眺め。

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周堤の北端から。

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そこから右側を。

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さらに右を向いて周堤を。

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さらに右を向いて広がる畑地(休耕地)を。

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外(北)側から周堤(北端)と墳丘を。

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パノラマで。

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周堤から墳丘(祠の背面側)を。

 

墳丘の南角。

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グーグルアースで見ると、ほぼ道路にかかっている部分。

 

その道路から西側をズームで。

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深い山並みの40㎞先が、熊本県の人吉(球磨)盆地になる。