墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

雪野山古墳(雪野山と蒲生野の古墳を巡る旅・その2) 滋賀県東近江市上羽田町

前回のつづき。

山裾の八幡社古墳群を見た後は、急登の石段に取り付いた。

雪野山古墳がある頂上までは比高差200mほど。

 

中腹の旧八幡神社本殿跡で一休み。

 

さらに斜面を上がっていく。

 

蒲生野を見晴らす素敵なポイントに出た。 

ほぼ北方向で、左端が鍋割山(234m)、中央が観音寺山(繖山・きぬがさやま:432m)、右に箕作山(372m)

 

パノラマで。

箕作山のすぐ右に伊吹山が見えている。

 

鍋割山と観音寺山の間を。中央が安土城が築かれた安土山。

右からの観音寺山の稜線の向こう側の山裾に、雪野山古墳(4世紀前葉)の直後(4世紀中葉)に築かれた安土瓢箪山古墳がある。なぜかお互いに見えない位置に。

 

最大ズームして、琵琶湖の湖面を。右端が安土山。 

 

こちらは観音寺山(繖山)

山の上に観音寺城跡の大石垣や、観音正寺がある。寺の開山は聖徳太子

 

こちらの中央は箕作山。

 

箕作山をズームして。

中央やや下、鉄塔後ろの広場は後藤館跡。室町後期の近江守護職 佐々木六角氏の重臣だった後藤氏が居住していた屋敷跡。

 

さらに登って、稜線の反対側へ出て、南西側の眺め。

 

稜線の向こうには、近江富士・三上山(432m)が頭を出す。三上山の北裾には大岩山古墳群が築かれている。

 

三上山の手前は、鏡山(384m)を中心とした稜線が広がる。

 

鏡山の北裾の先は守山市。琵琶湖が細まる部分で、湖面は線にしか写っていない。

 

雪野山周囲の湖東平野は、富を生み出す豊かな耕地であったとともに、古代の東山道・美濃や北陸道・越前へとつながって琵琶湖の湖上交通も利用できた交通の要衝でもあった。

 

そこを掌握した有力者が、この場所に「永遠の家」を築こうとした気持ちが伝わってくるような眺めだった。

 

 

そこから尾根上を少し南へ移動。

 

ついに山頂・雪野山古墳へ到着。

 

すでに前方部に立っていた。

 

途中には気になる板石も。雪野山古墳は未盗掘で発見されたが、竪穴式石室の天井石は一枚しか残っていなかった。

 

墳頂にて、東近江市埋蔵文化財センターの方の話をうかがえる贅沢。

 

後円部から前方部方向。推定全長70m。

 

墳頂には詳しい解説板がある。 

史跡 雪野山古墳(平成26年3月18日指定)
雪野山(標高308.82m)は、湖東平野に特徴的な地形である孤立山塊の一つで、古墳時代後期の円墳や前方後円墳等の古墳が、200基以上築かれていることが知られます。
平成元年(1989)に、八日市市教育委員会の「雪野山史跡の森整備」計画による工事に先立つ調査で、古墳の竪穴式石室が発見されたため、雪野山古墳発掘調査団(団長:大阪大学 都出比呂志教授)が結成され、以後4次にわたる発掘・測量調査と、7年に及ぶ資料整理調査により、古墳の全体像が明らかとなりました。
雪野山古墳は、古墳時代前期第2四半期、暦年代で西暦4世紀前葉までに造られたと考えられています。
古墳の形態
・山頂から北東に延びる尾根を利用した全長70mの前方後円墳(推定)
 後円部:墳丘の途中に一段の平坦面をもつ二段築成 径40m、高さ4.5m以上
 前方部:長さ30m、高さ2.5m以上

・墳丘の盛土表面に葺き石(湖東流紋岩)、一部に自然の岩盤を利用
・後円部に石垣や前方部に竪掘が見られ、16世紀頃に後藤氏の詰城に改変されたと推定
埋葬施設
・竪穴式石室(長さ6.1m、北端幅1.55m、南端幅1.35m、高さ1.6m)
 後円部のほぼ中央を長方形の2段に掘り込み(上端長最大値南北10.6m、東西7.0m)、その下段に構築(石材は全て湖東流紋岩、赤色顔料が付着)
・木棺(長さおよそ5.6m、樹種:コウヤマキ
 石室の床面に粘土床を設置し、痕跡により木棺の両端に縄掛突起を有する舟形木棺と推定。仕切り板によって3区画に分けられ、被葬者は中央部に、北頭位に埋葬されたと考えられます。
副葬品
銅鏡:内行花文鏡(1号鏡:径約24.0㎝、1291g)
鼉龍(だりゅう)鏡(2号鏡:径約26.5㎝、1432g)
三角縁波文帯盤龍鏡(3号鏡:径約25.2㎝、1146g)
三角縁唐草文帯四神四獣鏡(4号鏡:径約24.2㎝、1337g)
三角縁しん(立の下に木)出銘四神四獣鏡(5号鏡:径約24.2cm、1617g)
石製品:鍬形石 琴柱形石製品 管玉 紡錘車形石製品
農工漁具:鉋(やりがんな) 鑿 鎌 刀子 ヤス
武器武具:靫 鉄刀・槍・剣 銅鏃 鉄鏃 小札革綴冑
…他にも棺の内外から、土器(壺形土器)・ガラス玉・漆塗製品(直弧文のある木製品・合子・竪櫛)などが多数出土しました。

副葬品は盗掘をまぬがれ、当時の状態で出土しました。
一括資料として考古学的な意義が大きく、大変貴重です。
三角縁神獣鏡を含む銅鏡群は、中央政権との結びつきを示すといわれ、さらに武器武具を多数副葬した、武人的な被葬者像を想わせます。
また、靫(ゆぎ:矢筒)などの多彩な漆製品が良好な状態で出土したこと、小札革綴冑がほぼ完全な形で見つかり、その形態や技術に関する多くの成果をもたらしたことで、平成13年に重要文化財218点附18点)に指定されています。
東近江市教育委員会 文化財

 

実測図のアップ。尾根の起伏をベースに築いているので左右対称ではない。

 

さらに言うと、埋葬主体部は墳頂中心軸からずれている。

よって隣にも?と推定されるが、今のところ調査の予定はないそうだ。しかもその部分は東近江市ではなく龍王町に属するとのこと。

 

調査された主体部からの出土品は、明治大学博物館で堪能させていただいた(それがきっかけで今回のツアーに参加した)

 

前方部の左裾。

 

その先に降りていく斜面。 方向は東。

 

ズームすると、木村古墳群(天乞山古墳・久保田山古墳)が写った。

 

こちらは後円部から西方向の眺め。

 

後円部から南東側に降りる路もあった。 

 

少し先に、露出した石室があることを教えていただいた。

 

奥が降りてきた路。大きな天井石。

 

一応その下側も。

 

来たルートを引き返す。

 

再びの眺め。

高圧線は邪魔だが、おかげで木が刈られているのだろう。

 

ところどころ滑りやすくなっていて慎重に下った。

(2019年11月)