雪野山古墳展を開催していた明治大学博物館でいただいたパンフに誘われて、1dayツアーの方に夫婦で参加した。主催は東近江市観光協会。
JR能登川駅に9時半集合なので、東京駅を6時半前に出る新幹線に乗車。米原で乗り換えて9時18分に到着した。
用意されていた大型バスに乗って雪野山へ移動。能登川駅からは30分ほどの距離になる。
ガイド説明は、主に東近江市の埋蔵文化財センターの方が担当されたが、現地でもバスの中でも、とても詳しくかつわかりやすい解説をいただけた。
バスの車窓から。新幹線の高架をくぐった先で、雪野山がよく見えてきた。
このあたりは蒲生野(がもうの)と呼ばれる一帯。
万葉集にある、額田王が「あかねさす・・・・野守は見ずや君が袖振る」との歌を詠んだ標野(しめの:御料地)が蒲生野になるそうだ。
https://manapedia.jp/text/2070
雪野山歴史公園まで入ってバスを降りる。
山頂の雪野山古墳までは比高差200mを登るが、その前に麓の八幡社古墳群を見学。
(イノシシ除けの)ゲートの先に、三連横穴の前方後円墳が現れた。
八幡社46号墳は、後円部(A室)・くびれ部(B室)・前方部(C室)と、それぞれに石室を持つ。
八幡社46号墳
全長21m、後円部径11m、墳丘の高さ3.5mの小さな前方後円墳ですが、横穴式石室を3つもち、そのうちの1室(C室)の平面形がL字形を呈するという特異な特徴を示しています。石室の構造・規模から、まずA室が築かれ、後の時代にC室・B室が築かれていったようです。
46号墳は当古墳群を形成した豪族の首長クラスの墓と推定されます。
A室(築造順序1):両袖式、玄室長4.2m・幅1.5~2.2m・高さ(現状)2.0m、羨道長(現状)3.0m・幅1.1~1.2m・高さ(現状)1.2m。
B室(築造順序3):片袖式、玄室長3.15m・幅1.1m・高さ(現状)1.8m、羨道長(現状)2.9m・幅0.8m・高さ(現状)1.2m。
c室(築造順序2):L字形 両袖式、玄室長4.8m・幅1.6m・高さ(現状)2.3m、羨道長(現状)2.8m・幅1.2~1.6m・高さ(現状)1.2m:副室玄室長1.8m・幅1.6m・高さ(現状)1.2m。
上記には「後の時代にC室・B室が築かれ」とある。一度築いた墳丘に横穴式石室を設けるのは難しそうだが…
手前が後円部、奥が前方部。前方部のC室は普段は施錠されて入れないが、この時は特別に開放された。
C室前は行列になっていたので、まずはくびれ部のB室へ。
単独でも立派な趣き。かつては手前まで墳丘に覆われていたのだろう。
入るとすぐ玄室。
フラッシュで。玄室高は1.8m。
奥壁を背にして。
同じ位置からフラッシュで。「片袖式」であることがわかる。
次は後円部のA室へ。羨道天井も良く残る。
玄室も3つの中で最大。高さ2.0m。
フラッシュで。
A室の奥壁から。
フラッシュで。こちらは「両袖式」
側壁の石も大きい。
最後に前方部のC室へ。
前の方が出てくるのを待って内部へ。奥壁から左に天井が下がった空間がある。
その「小部屋」を。
小部屋に入って、小部屋左側の隅を。
次の方が入って来られたので、奥壁前ですれ違い。
外へ出て、46号墳を前方部側から。
46号墳の前方部へ上がらせていただいて、後円部方向を。
回り込んで、後円部先端側からの46号墳。
振り返ると47号墳。
47号墳を斜面下側から。
左が46号墳後円部。奥の中央は44号墳。
近寄っての44号墳。
隣り合っての43号墳。
斜面上側から、左端43号墳、中央44号墳、その右奥に46号墳。
ズームしての46号墳。日の当たる前方部と、影の後円部。
43号墳から山側には石室が露出した41号墳。
その解説板。
41号墳
林道によって天井石が除かれ、羨道部が少しずつ削られる状態であったため、平成2年の春に発掘調査を実施しました。
41号墳は両袖式の横穴式石室をもつ直径約11mの円墳で、玄室の長さは2.9m、幅1.3m、羨道の長さは2.3m以上、幅0.9mです。
玄室内部の床面から遺物が出土し、この古墳が7世紀前半に築かれたことがわかります。
出土品:須恵器の杯身(つきみ)2・杯蓋2・短頸壺1・提瓶(ていべい)1・土師器の小型壺1・鉄釘1・鉄製品1。
奥壁側から。
48号墳は微かな土盛り。
その先には、雪野山山頂への登山路が続いていた。
(2019年11月)