墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

大丸山古墳(辺り) 東山南遺跡 上の平遺跡(方形周溝墓広場) 山梨県甲府市下向山町

山梨県立考古博物館を見学した後は、企画展でフィーチャーされていた「上の平遺跡」を目指して丘陵を登った。

 

丸山塚古墳のそばにあった公園マップを再掲。一番下(北)に博物館、左上の四角いぶつぶつが上の平遺跡。道がくねくねしているのは坂が急であることを意味している。道がグレイのところは公道なので、車であれば一旦公園敷地の外へ出れば回って行けるが。

 

丘陵公園内には全長100m級の前方後円墳・大丸山古墳の墳丘も”良好に残存”している。

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/208367 

公園マップの中央・白いエリアに立地していることは、グーグルマップで見て取れる。

 

園路を上がって最初のヘアピンカーブから大丸山古墳があると思われる方向を見るが、樹々がうっそうとしていて地形の雰囲気すらわからない。

 

この先で、後円部をこちらに向けているはずだが…

企画展にあった解説によれば、大丸山古墳は4世紀前半築造の前方後円墳
墳丘裾が未調査で、測量図から墳丘長は3通り(全長99m、120m、134m)で復元されるが、いずれにしても”でっかい古墳”のひとつ。

主体部には石棺が納められ、石棺や竪穴式粘土槨の中から鏡3面(三角縁神獣鏡、画文帯神獣鏡、四乳八猛鏡)、縦矧板皮綴短甲や渡来系を含む工具(手斧、鉄斧など)やガラス玉など豊富な副葬品が出土したそうだ。

Wikipediaによれば墳丘表面には葺石が認められ埴輪は無し、初期須恵器を模倣した土師器𤭯が出土、墳丘周囲には周溝の存在が推定されるともあった。

 

先日東博へ行った際に、その短甲を見たが、身体の形に合うように作った結果の美しさが感じられた。(縁の皮は復元ですよね?)

 

ちなみに東博には、甲斐銚子塚古墳から出土した「石製杵:仙薬を調合するための道具」も展示されていた(下記の18・19番)

 

大丸山古墳は国史跡指定も受けているので、現地付近に解説板を設けていただけるとありがたいです。

 

坂を登りきると、勾玉広場があった。

 

その奥が「東山南遺跡」

東山南遺跡
この遺跡は、東山台地の北側の先端で、標高340mの最高地点の北側と東側に広がっています。今から1800年ほど前の弥生時代末の方形周溝墓2基と住居跡1軒。古墳時代の5世紀中頃に造られた周溝墓11基が発見されました。この東には直径22mと26mの2基の周溝墓(低墳丘墓)が並び、溝からは県内最古の須恵器樽型”はそう”(漢字は瓦+泉)や把手付椀が出土して注目されました。北側斜面のグループからは須恵器把手付椀や、鉄刀、土師器などが発見されました。須恵器樽型はそうや把手付椀は当時の貴重品で相当な地域有力者達の墓域と思われます。

 

看板の東側に、なだらかな円形周溝墓。

 

奥の周溝墓上から振り返って。

 

南側には御坂山地が連なる。山に近いので向こう側の富士山は隠れてしまうようだ。

 

東山南遺跡の西は駐車場で、隣には研修センターの建物があるが、前出の説明板に記載されていた”古墳時代の周溝墓群”が建物の北側に残っていたことに今更気づく。

 

建物の南側斜面は遊具の充実したエリア。団体で来ていた子供たちで賑わっていた。

 

遊具広場を周りこむように尾根を南東に進むと、目指す遺跡があった。

 

なんと、アトラクションのひとつになっていた。

方形周溝墓広場 迷路案内

この広場は、レンガと芝生保護材(芝生の上にのせてあるプラスチックの網)を歩道として、A地点からB地点を結ぶ迷路としてつくられています。
芝生の上や刈り込みのなかを歩いたりせず、また、他の利用者に迷惑をかけないように注意しながら、迷路を解き明かしてみてください。
うまく通り抜けができたら、この広場北側に見える木製の展望台に登って、自分が迷った道や迷路全体をみわたしてみてください。全体の大きさや複雑な地形がひと目でわかります。そして、方形周溝墓の解説板をお読みください。
みなさまが頭をひねり、汗をかきながら通り抜けるこの迷路は、はるか1700年ほど前の弥生時代末から古墳時代のはじめの、道具もそまつな時代に、我々の先祖が自らの手で造った方形周溝墓というお墓の溝の後でもあるのです。
迷路を解きながら、方形周溝墓の大きさや形を実体験として勉強してみてください。

 

つつじが植えられた墳丘。

 

「墳丘の無いところ」が迷路の道で、見通しは良い。

 

どのように遊ぶかを理解しようと思ったが、時間の関係で直接展望台へ。

 

そこにあった解説。

上の平遺跡

御坂山系の山なみから、甲府盆地にせり出したこの小高い丘は、曾根丘陵と呼ばれ、県下で最も遺跡の多い地域として知られています。中でも、ここ上の平遺跡は、東西にのびる曾根丘陵のほぼ中央に位置し、数万年前からの人々の生活の足跡が認められる貴重な遺跡です。
この遺跡での最も古い生活跡は、先土器時代にさかのぼり、当時の人々が道具として使用した石器が発見されています。隣の立石遺跡からは、今から2万年前の地層から同じような石器が発見されているので、このあたりは甲府盆地最古の人々が多く集まっていた場所と思われます。
4~5000年前の縄文時代中期の住居や土器・石器も多く発見され、この地域の中心的な集落が営まれていたようです。住居や墓、貯蔵穴の中からはクリ・クルミなどの炭化物も発見されています。
弥生時代の終わりから古墳時代の初めのものでは、東日本最大級といわれる128基の方形周溝墓群と、20軒ほどの住居跡が発見されています。方形周溝墓と住居群は地域が区切られており、集落と墓地が意識的に分けられていたようすがわかります。この公園の南側にある宮の上遺跡や立石遺跡からも同時代の集落が発見されているので、上の平周溝墓群は周辺の集落を含めた共同の墓地と見ることができます。
ここに復元されている方形周溝墓は128基のうちの35基で、発掘された元の位置に盛り土して整備してあります。南側にある最大規模の1号方形周溝墓と、隣の2・3号方形周溝墓の3基は溝を掘って中央部に土を盛り上げて復元をし、そのほかの方形周溝墓は溝の部分にレンガを貼り、中央部にツツジなどを植えてあります。
この、上の平遺跡は、それぞれの時代の人々の生活をパックした「タイム・カプセル」といえます。

 

なかなか壮観。植栽の手入れも大変だと思われる。

 

パノラマで。

 

北に隣接する広場。

 

広場の先の道路から北西側。塩山側に向かっての甲府盆地を見渡せた。