墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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馬背塚古墳 長野県飯田市上川路 古墳と桜の飯田紀行(5)

今回の馬背塚(ませづか)古墳も国指定史跡。前回の御猿堂古墳の250m北東に立地し、やはり立派な石室を持つ。

 

国道151号を渡って農道に入ると、遠目にも開口部がわかる墳丘が見えた。 

左が後円部、右が前方部で、斜面の下側に前方部を向けている。

 

前方部側の裾に説明板。 

国指定史跡 飯田古墳群 馬背塚古墳
平成28年(2016)10月3日指定
墳丘長約46m、後円部を北西に向ける前方後円墳です。現状では後円部は小さく、前方部は細長い形をしていますが、本来は前方部が大きく開くものと考えられます。
本古墳の特徴は、後円部と前方部のそれぞれに横穴式石室があることです。二つの石室は形が異なります。後円部の石室は細長く、平面的には玄室と羨道部が明確ではない無袖式といわれるもので、全長11.7m・高さ2.7mです。前方部の石室は、玄室と羨道部とが明確に分かれている両袖式といわれるもので、玄室は全長6.4m・高さ3.3m、羨道部は全長5.5m・高さは現状で1.6mで、石室全体では全長11.9mになります。
副葬品は残っていませんが、巨石を用いた石室構造や平面形態から、築造年代は6世紀末から7世紀前半と想定され、飯田下伊那地方の前方後円墳としては最終段階のものとなります。
平成29年(2017)3月 飯田市教育委員会

 

実測図のアップ。

 

前方部には両袖式、後円部には無袖式の石室があり、どちらも全長12m近い。

 

前方部裾の開口部。

 

入り口部分は膝をついて入るような高さ。

 

玄門まで頭を下げて慎重に前進する。 

 

玄室に入ると大きな空間が広がる。

 

フラッシュで。高さは3.3m。

 

玄門脇からフラッシュ無しで。 

 

奥壁前から開口部。

 

同じ位置からフラッシュで。

 

御猿堂古墳の石室より、さらに大きな石が使われているように思われた。 

 

奥壁に向かって左側の隅。

 

開口部から外を。

 

後円部側の石室は立入禁止。

 

看板の裏に手を伸ばして。

 

こちらは玄室と羨道を仕切る側柱がない「無袖式」


ズームで奥壁を。

 

後円部の先に、墳丘っぽい土盛り。

 

後円部の先端側から。石垣部分は削られた後円部断面。

 

後円部の墓地から。墳丘上は畑だった。奥が前方部。

 

墳丘斜面。右奥に前方部石室開口部が見える。 

 

馬背塚古墳(右奥に見えている)の50mほど西北西、道路脇にも石室が開口する。

 

最初はよくわからずに上の斜面に登ってしまった。

 

宮ノ脇2号墳。 

 

ぺんさんはなんとか奥壁を写されていたが、自分は右の蔓性植物に阻まれて即撤退した。小さなトゲを刺して切り離して相手に残す、嫌な仕掛けを持つ植物だった。

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