前回のつづき。
標高70m前後にある朝日山古墳群の2つの前方後円墳を見た後は、平野に下りて天王川支流沿いに鎮座する日吉神社へ向かった。
大きく刻まれた神社名。
拝殿の左手に、3分の1ほどを削られて古墳が残っていた。
郡栄塚(ぐんえいづか)古墳 町指定文化財
この古墳は、日吉神社拝殿によって、東側の一部が削られてはいるが、直径約30m、高さ約3mの円墳である。古墳の封土は、永い年月でかなり流失しているが、二段築造の古墳で、この遺跡のように低地に築造された古墳は県内でもまれである。
この古墳は、古墳公園の経ヶ塚古墳(4世紀後期)や朝日山古墳(5世紀前半)の系列をひく、天王川・和田川流域の6世紀ごろの首長の墓と考えられる。山頂から低地へと移行する、本町における古墳築造の過程がセットになっていて、学術的な価値が高い遺跡である。
平成5年3月 朝日町教育委員会
説明板の前で、掘学芸員による現地解説を受ける。
拝殿側からの墳丘断面。
墳頂から見た拝殿。
覗き込むと結構高さがある。
墳頂には大きな切り株があった。長きに渡って墳丘を守ってきたのだろう。
土の墳丘がなぜ千数百年も残るのか、いつも不思議に思う。雨が降ったり、人や動物が登ったりが数十万回は繰り返されたはずだが、その分「塵」も積もるのだろうか。
草木が繁って葉を落とすことが一役買っているのだろうが、「ミミズ説」があることを初めて知った。
墳頂から北西側の斜面。
その斜面下から見た墳頂側。説明板には「円墳」とあるが、今はこちら側に前方部がある「前方後円墳」とされているそうだ。全長は30mで5世紀前葉の築造。
朝日山古墳に後続する、越前町エリア3代目の首長と推定されるそうだ。
その前方部は道路が少し削っている。
道路側から見た前方部、奥が後円部。道路の右だけでなく、墳丘の左側にも小川が流れていた。
拝殿で参拝して振り返った鳥居。
鳥居の外の道路から西南西側。
グーグルマップから推測すると、おそらく右のピークが経ヶ塚古墳で、左の山頂が朝日山古墳になると思われる。
日吉神社には像高160cmの大日如来座像(県指定有形文化財)もある。
福井県のサイトで立派なお姿が見られる。こちらの解説には鎌倉期の作とあった。
http://info.pref.fukui.jp/bunka/bunkazai/sitei/choukoku/hiyoshijinja-dainichinyorai.html
つづく。