前回のつづき。
越前古墳巡りツアーで巡った最後の場所は、旅のハイライトでもあった。
2009年に発見されたばかりの番城谷山(ばんじょうだにやま)古墳は下記の八坂神社北の山頂に立地する。
神社の裏山といっても、そこへのルートは山の北側へ大きく回りこむしかなく、また普段は立ち入ることのできない場所になる。
はじめは平坦な林道を歩く。
斜面に杉木立が出てきたあたりで、急登の枝道に入った。
”登山道”を進む一行。
山頂に到着すると、木立の中に墳丘があった。
右が5号墳で、左奥にも4号墳がある。
葺石が集められた根元。
”発見者”である堀学芸員は、角が丸い河原石をいくつも見つけて、ここが古墳であると認識されたそうだ。
5号墳の斜面。
5号墳の墳頂。
5号墳から見た4号墳。
木立が密で眺望が得られないのが残念だが、隙間をズームすると少し平野部が写った。
標高は156m、平野部との比高差は140mにもなる。
墳裾から北西の山側もちらりと眺めがあった。
5号墳の墳頂で掘学芸員の話を伺う。ちなみに堀氏は、あの森浩一先生(1928~2013)に師事されている。
墳頂部では範囲確認調査(トレンチ2本)が行われていて、竪穴式の大きな墓坑と棺の跡が2ヶ所、副葬品の刀も2本見つかっている。棺の跡は断面が円形なので舟形木棺の可能性があるとのこと。
下記はいただいた資料から。
番城谷山5号墳は全長45mの円墳で、造出部と長方形の壇(陪冢)を持つ。築造年代は5世紀前葉で、丹南および越前町地域での4代目の首長と考えられるとのこと。
この地域の古墳で葺石や埴輪を持つのはこの古墳のみで、葺石の数はなんと10万個超!
右上の4号墳については、5号墳の埴輪が倒れた上に4号墳の盛り土がかぶっているので、5号墳の後に造られたことがわかっている。親子かも、とのコメントがあった。
後で調べると、平成23年~26年にかけて毎年行われた調査についてはネット上に報告が上がっていた。
http://www.pref.fukui.jp/doc/maibun-c/event/27siryou_d/fil/015.pdf
http://www.pref.fukui.lg.jp/doc/maibun-c/event/28siryou_d/fil/018.pdf
http://www.pref.fukui.jp/doc/maibun-c/event/29siryou_d/fil/2522banjotaniyama.pdf
http://www.pref.fukui.jp/doc/maibun-c/event/30siryou_d/fil/26banjoutaniyama.pdf
順に見ていくと、どのように発掘調査を進めていくのかも判って興味深い。
5号墳の墳頂から南裾、長方形の陪冢があるあたりを。
降りていった墳裾。
なんとここで、落ち葉に埋まったブルーシートの下に、現地に残されたままになっている円筒埴輪を見ることができて大感激。
この古墳からは乳頭状突起をもつ大きな陶質土器(越前町織田歴史文化館に展示)も出ている。4世紀末に韓国の洛東江で作られ、海を越えて持ってきたと考えられるそう。須恵器も出土しているが頸の太い珍しい形で、この地域でオリジナルを造っていた可能性もあるとのことだった。
こちらは5号墳の北西側、造出部のあたり。
そのあたりを墳裾から。木々の間からは斜めになった日差しが。
たっぷり古墳を堪能して帰路についた。
ツアーはじめの講義で触れられていたが、平野部からの比高差がこれだけある高所に築かれた古墳は全国的にも珍しいとのこと。
例示されていた長野県の森将軍塚古墳は標高490mだが平野部との比高差は135m。
和歌山県の岩橋千塚古墳群・大日山35号墳は標高142m、比高差140m近く。
ほかにも讃岐地方の古墳も挙げられていた。眺め重視の古墳ファンとしてはぜひ訪ねてみたい。
堀氏からは、比高差のある山の上に築かれた古墳として、韓国の高霊池山洞古墳もグーグルアースで紹介されていた。ここもいつの日か行ってみたい。
https://www.hanabitour.com/tv/tv_detail.html?no=1559
自分はこれまでに訪ねた範囲に限定されるが、越前の古墳の立地は、駿河で訪ねた古墳と似ているように感じた。
例えば標高111m・比高差90mに築かれた、藤枝の若王子古墳群。
駿河は敦賀と、音の響きも似ている?
平地に降りて林道を戻る。
2本の轍はあるが、道の雰囲気は人々が葺石を運んだ古墳時代とあまり変わっていないのでは。
バスからの眺め。
まだ8月ではあったが、稲穂の黄色と空の青がとてもきれいだった。
越前古墳巡りツアー記はこれで終了です。
解説いただいた堀学芸員、ツアーで引率いただいた越前町観光連盟の駒様、関係各位のみなさま、本当にありがとうございました!