前回のつづき。この日最後に訪ねた古墳。
「欠ノ上」からバスに乗り、「北金目入口」で降りて北へ歩いた。
北へのバス便もあったが時間が合わずに11分の徒歩。
足取りは重くなっていたが、左前方に大山の美しい稜線が見えて元気が沸いた。
ズームすると、朝に見えた伊勢原清掃工場が写った。
最後に坂を上がると「塚越古墳」のバス停があった。この古墳は分かりやすい!
バス通りは切り通しで造成されたようで、古墳公園へは擁壁についた階段を登る。
上がると、整備された広場の奥に墳丘が。
墳頂には桜の木。春はきれいだろう。
現地の説明板。 貴重な、4世紀代の前方後方墳だった。
塚越古墳
塚越古墳は古墳時代前期(4世紀)に築造された前方後方墳です。昭和33、34年(1958、1959)に平塚市教育委員会が、墳丘の測量と墳丘主体部の調査を実施しました。主体部からは粘土槨を確認し、朱、管玉、鉄製品を発見しています。
平成6、8年(1994、1996)には神奈川県教育委員会によって周溝の範囲確認調査が行われ、長らく不明瞭であった古墳の形が、前方後方形である可能性が示唆されました。平成13年(2001)及び平成19年(2007)に平塚市教育委員会で追加の範囲確認調査を実施した結果、南側周溝内側の形状から前方後方墳であることが確定しました。
墳丘が残る前方後方墳は神奈川県内でも僅かで、塚越古墳は周溝を含め長さおよそ55mの規模を持ち、相模国内でも最大規模の前方後方墳です。古墳時代前期の古墳は生産を基盤とした政治的支配者の出現を意味しますので、ヤマト政権とのかかわりや地域の成り立ちを考える上で貴重な文化財といえます。
墳丘の全長は45mになる(平塚市博物館のサイトより)
後方部墳頂の桜の周りはロープで囲まれていた。
根元には石碑らしきものが。
草と空だけにすると昔の雰囲気が出るか。
後方部から前方部。
前方後方形を把握するのは難しかった。
くびれ部のあたりから後方部。
前方部から後方部。
その背後には、前方後方形の砂場が。
南西方向には東海大学の建物、その先は箱根の山か。
砂場の前方部側から見た塚越古墳。古墳と長軸は揃っていれば素晴らしい。
右側面をパノラマで。左が前方部、右が後方部。
前方部から公園を。周囲を造成で削りとられてはいるが公園と一緒に残っているので孤立感がない。
後方部の北側は郊外の風景。
大山の雄大な三角が望めた。被葬者もこの風景が気に入ったのだと実感した。
南東側も、平塚市を一望する広大な眺め。
桜と大山と。
他の建物が入らないように写すのは難しかった。
平塚市博物館のサイトには今とはまるで違う、周囲が地続きの畑だった風景が掲載されている。
http://www.hirahaku.jp/hakubutsukan_archive/kouko/00000035/9.html