墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

旧横浜ゴム平塚製造所記念館(平塚八幡山の洋館) 神奈川県平塚市浅間町

前回のつづき。

塚越古墳からの帰路は鶴巻温泉駅に出るのが最寄りだったが、時間に余裕があったのでバスで平塚市を斜めに横断して平塚市博物館を目指してみた。

北金目のバス停まで戻ると、ちょうど平塚駅行きのバスが来た。金目川沿いの道を南東へ向かっていると進行方向右前の高麗山が大きくなってくる。途中で思わぬ方向に曲がり、博物館へは少し遠回りになった。神奈中バスの路線は複数きめ細かく設定されているようだ。

商店街で降りて北へ歩いていると、途中の公園の隅に可愛らしい洋館があった。

 

場所はここ。平塚駅からは徒歩11分。

 

この時はバラが満開だった。

 

気持ち良さそうなテラスは西側を向いている。

 

塔屋を載せた応接室は、窓回りや軒下に手の込んだ装飾が施されている。石の上にレンガを積んだ基礎の換気口にはアーチがついていた。

 

南側、塔屋が見えるところまで引いた位置から。

 

東側から。窓枠の形の違いがアクセントになっている。

 

北側から。六角形を半分にした形の二連の出窓がいい雰囲気。東西南北4つの面がそれぞれ違った表情をしている。

建物の特徴については公式サイトに詳しい解説がある。

http://hiratsuka-yokan1906.jp/westernhouse/feature.html 

 

その背面あたりが元の建物があった位置で、煉瓦基礎が残っていた。

 

洋館についても触れた解説。

「旧横浜ゴム平塚製造所記念館」は、元は日本火薬製造株式会社が建てたもので、明治39年に竣工し、火災に遭って明治44年に再建された古い建物だった。

国の登録有形文化財(建造物)「旧横浜ゴム平塚製造所記念館」
煉瓦積基礎の遺構
この煉瓦積は、「旧横浜ゴム平塚製造所記念館」を当地に移築する際に基礎を全て鉄筋コンクリート造に改めたため、移築前の旧い煉瓦積基礎(布基礎)の一部分を、その遺構として保存したものです。
この建物は、海軍火薬廠の前身となる英国法人:日本火薬製造株式会社(The Jpanese Explosives Company Limited)の英国人宿舎の中心的建物で、明治44年に前身建物が火災で焼失した際に再建されました。
この基礎の元の位置は、塔屋がある棟の正面(南)側西より部で、煉瓦の積み方はイギリス積(English Bond)、厚みは一枚半で15段積です。この基礎は、再建時に新しい間取りに合わせて新規に積まれた部分ですが、建物全体の基礎の6割にあたる部分では、前身建物(明治39年建設)の基礎フーチングをそのまま再利用して、その上に積まれていました。
使用される煉瓦は、およそ巾10.9cm(0.35尺)、長さ22.1cm(0.73尺)、厚6.0cm(0.20尺)で、一部の煉瓦の平の面には図のような刻印が見られました。
平成21年4月 平塚市教育委員会

 

公式サイトに詳細な沿革がある。

 http://hiratsuka-yokan1906.jp/westernhouse/index.html

日露戦争で海軍が使用した無煙火薬は全てイギリスからの輸入に頼っていたため戦後に国産化が決まり、広い遊休地(江戸幕府の御林)・交通利便性(東海道線と軍都横須賀への近さ)・豊富な地下水(相模川金目川)と条件が揃っていた平塚に明治38年末、日本海軍とアームストロング社、チルウォース社、ノーベル社の英国三社の合弁による日本火薬製造株式会社が工場をつくった。広さは38万坪(125ha)で、東京競馬場(62ha)の2つ分にもなる。

当洋館は英国人支配人執務室等として建設されたといわれ、大正期には海軍火薬廠となり戦後米軍が接収した後、昭和25年から横浜ゴム株式会社が応接室や会議室として使用、平成16年に平塚市へ無償贈与され、市民が利用できる施設として八幡山公園に移築復元された。

 

ということは、この基礎も移築されたものか?

 

入館は無料(月曜休)

この日はコンサートイベントが開催されていた。ときどき、館内を自由に見学できる”遊館日”があるようだ。http://hiratsuka-yokan1906.jp/

 

南側の扉。元々の玄関。

公式サイトには平面図(見取図)もある。 

http://hiratsuka-yokan1906.jp/guide/sketch.html

 

その右手に資料が展示された小部屋があった。

 

塔屋の下の部屋は、出演者の控え室となっていた。