今回の京都旅行で最後に訪ねた場所が、伝道院。
この日は妻子は別行動になったので一人で回っています。
地下鉄の五条駅から10分ほど歩いていくと、周りの街とは雰囲気が異なる建物が現われました。
エキゾチックな意匠がふんだんに使われています。
上記の右側の側面。
1階窓上の、{ を横にしたような曲線は、築地本願寺でも多用されています。
そこから左へ視点を移して。
右手の先には西本願寺。
西本願寺側に向くように、北西角に出入り口がありました。
そこにあった解説。伊東忠太の手によって明治45年(1911)に竣工。
重要文化財 本願寺伝道院
※指定名称 旧真宗信徒生命保険株式会社本館(本願寺伝道院)
この建物は、明治28年(1895)4月に設立された真宗信徒生命保険株式会社の社屋として、明治45年に東京帝国大学教授伊東忠太の設計、竹中工務店の施工により建築されたものです。当初は「本館」のほか「付属屋」、「倉庫」2棟、「物置、人力車置場、便所」、「屋根付伝ひ廊下」が建っていましたが、現在は「本館」のみが残っています。
伊東忠太の提唱した「建築進化論」(石材や鉄に依存しつつも欧化でも和洋折衷でもなく、日本建築も木造伝統を進化させること)を明確に表現した建物で、外観は古典様式に基づくものの、開口部まわりや軒まわり、塔屋の形態などにサラセン様式、日本の伝統的な様式が用いられています。
現在は本願寺伝道院として浄土真宗本願寺派僧侶の布教・研修の道場として使用しています。本願寺
文化遺産オンラインにも下記の解説があった。
旧真宗信徒生命保険株式会社本館は、本願寺を大株主とする真宗信徒生命保険株式会社の新社屋として明治44年に建てられた。設計は東京帝国大学教授の伊東忠太である。煉瓦造で外壁に煉瓦色の化粧タイルを張り、花崗岩の白帯を廻らせるなど英国風の様式を基調とするが、玄関上部のインド風のドームや六角塔屋、中国風の高欄など随所にアジア大陸の意匠を大胆に取り入れている。さらに組物を載せた柱、窓上の人字形割束を模した造形など、随所に日本建築を解釈、再構築した細部意匠を加え、独創的な意匠となっている。旧真宗信徒生命保険株式会社本館は、伊東忠太の建築進化論に基づく初期の代表作であり、我が国における建築様式の道程を体現した建築として価値が高い。
旧真宗信徒生命保険株式会社本館(本願寺伝道院) 文化遺産オンライン
3Dに図案化されたような狛犬。
阿形も。
正面から北側側面を入れて。
西側側面を入れて。
高欄を見上げて。
右の狛犬がベロ出してますね。
向かいに仏具屋さんのこの風鈴が、いい音を鳴らし続けていました。
西側側面にも三角破風。
こちらの側面も出たり凹んだり。
インド風アーチの門。
車止めの石柱の上には、いろいろなキャラクターが。
よく見ると、色彩も豊かです。
西本願寺の側から見ると、不思議な光景が。
仏教も、異国の文化であったことを認識できる?