墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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大日山35号墳 @岩橋千塚古墳群(和歌山県立紀伊風土記の丘)大日山地区

特別史跡・岩橋千塚(いわせせんづか)古墳群のつづき。

散策路地図(下が北)の西端にある大日山(だいにちやま)35号墳を目指す。 

地図上には資料館から1300m、徒歩30分とあった。

 

散策路左右の林の中は古墳だらけ。説明板があるものは少ない。

 

いよいよ古墳のある山頂が近くなってきた。

 

最後の登りの前にあった説明板。周回路からの枝道になるので、ここで呼び入れる仕組みか。

大日山地区 大日山35号墳と周辺の古墳
大日山は、岩橋山塊の西端に位置する標高141mの山塊で、眼下には和歌山平野と紀淡海峡が広がります。山塊の頂上には、大日山35号墳が造られており、その周辺には小型の前方後円墳である大日山1号墳や円墳が尾根上に分布しています。
大日山35号墳は、盾形状の基壇の上に二段築成の墳丘からなる、6世紀前半に造られた全長105mの県内最大規模の前方後円墳です。基壇及び墳丘の各段の平坦面には円筒埴輪がめぐり、さらに後円部と前方部の間に造られた造出部分には、円筒埴輪列で囲まれた空間に翼を広げた鳥形埴輪などの形象埴輪等が並べられていました。
後円部には西側に入口をもつ横穴式石室があり、石棚や石梁が設けられています。
平成26年3月 和歌山県教育委員会

 

そしてついに到着。 きれいな形の墳丘。

 

左手前が前方部、右奥が後円部。

 

墳裾の説明板。 

 

前のものとかぶるので測量図部分のみを。

 

くびれ部に階段がついていた。 

 

和歌山の街を一望する素晴らしい眺めがあった!

 

右が後円部。

 

くびれ部から後円部。

 

後円部から北側。大日山の北側には大谷山があった。その山頂にも前方後円墳があるので、この後に行ってみた。

 

大谷山の左(西)側。

 

ズームで。

中ほどの緑は紀伊国一宮・日前宮(にちぜんぐう)の日前(ひのくま)神宮と國懸(くにかかす)神宮の杜で、その右奥が和歌山市の中心街。

 

気候の条件に恵まれれば淡路島も見えるらしい。

 

パノラマで。台地の北西端に立地しているので、180度超の眺めがある。

 

大谷山の右(東)側。

 

紀ノ川上流方向は木々がかぶってしまった。

 

後円部上から後ろを振り返って前方部。

 

 前方部の方が少し高く残っている。

 

前方部上の三角点(と鉄塔の脚)

 

前方部南端から南側の眺め。

 

中央左が上ってきた散策路。

 

前方部から後円部。

 

パノラマで。 

 

墳丘の西斜面。

 

前方部南裾に下りて見上げる墳丘(と鉄塔)

 

西側墳裾からくびれ部あたり。

 

後円部西側の裾。

 

横穴式石室への入口があった。

 

しっかりと鍵がかかっていた。翌週に年に一度の見学日があったが・・・

 

石室の説明板。

大日山35号墳 石室
ここは、後円部につくられた横穴式石室の入口です。ここから見える細い通路(羨道)を進むと、玄門の向こうに遺体を葬った空間(玄室)が広がっています。
この石室は、薄い板状の石(結晶片岩)を積み上げ、石棚・石梁が備え付けられていることに特徴があります。このような石室は、岩橋千塚古墳群を中心に分布した横穴式石室の形と考えられています。
玄室の中には、大日如来が祀られ、信仰の場となっていた時期もあり、棺など当時の状況がわかるものはほとんど残されていませんでした。
平成16(2004)年3月 和歌山県教育委員会

 

説明板にあった玄室奥壁の写真。玄室の高さは2.85m。 

中央に2枚重ねで横渡しになっている石棚は床から約1.5mの高さで奥壁にも組み込み、上部の石梁(いしはり)は1.9mの高さで両側壁に組み込んでいる。

石梁・石棚で奥壁・側壁を支えているので高い玄室を造ることができたそうだ。

 

和歌山市のサイトには奥壁から入口側を写したカラー写真がある。 

http://wakayamacity-bunkazai.jp/iseki/5000/

 

入口脇の大日如来にお参り。

 

こちらは、くびれ部から見た東造出(ひがしつくりだし)

 

詳しい説明板があった。

大日山35号墳 東造出(ひがしつくりだし)の埴輪の復元
標高141mの大日山山頂につくられた大日山35号墳は、墳長86m(基壇を含めた全長105m)の県内最大級の前方後円墳で、6世紀前半につくられた首長の墓と考えられます。前方後円墳は葬られた人物の政治的な身分を反映するとともに、他界へ送る葬儀の場としての役割をもっていました。並べられた埴輪は、家や人物、動物、武器、飲食物などをかたどったもので、生前の一場面を再現したものか、葬送に係わる場面、または他界でのくらしを表わしたものと考えられます。ここ東造出では、発掘調査の成果をもとに埴輪などが並べられた状況を再現していますが、家、力士、各種の動物のほかにも、複数の家や、盛装した男子、巫女、大刀などが確認されており、古墳がつくられた当時はより多くの埴輪が立ち並んでいたと考えられます。なお、設置した復元埴輪のうち92点は、埴輪づくりイベントに参加された延べ99名の一般市民に皆様とともに製作したものです。

 

図の部分のアップ。  

 

別の説明板。出土した埴輪のうち全体が復元できたもの(のレプリカ)が設置されていて、中央の大きな家の周囲に力士や須恵器の大甕・器台が、西側には翼を広げた鳥と水鳥、北側に馬・猪・犬・牛が配置されていたとのこと。

 

南側から埴輪囲いの内側。

 

大きな家は大きかった。

 

西側から。

 

飛んでいる形の鳥の埴輪は全国でこの2例しかない。

 

力士は”土俵入り”?

 

造り出しの下側から。

 

こちらはくびれ部の西側の西造出(にしつくりだし)

 

 

その説明板。

 大日山35号墳の西造出
西造出は、前方後円墳の前方部と後円部の間に造られた台状の施設です。上面には円筒埴輪に囲まれた平坦地があり、朝顔形埴輪と蓋形埴輪が規則的に配置されていました。
平坦地北側には須恵器の大甕と壺が据えられていました。
南側には多数の埴輪が配置され、武人や巫女、馬をかたどった埴輪のほか、両面人物埴輪・胡籙形埴輪(矢を入れる道具の形をした埴輪)といった日本で初めて確認された珍しい埴輪も出土しています。

 

東博で見た両面人物埴輪(唯一例)は、ここから出土したものだった。

massneko.hatenablog.com

 

つづく。