前回のつづき。
西山古墳を見学した後、そこから東北東に500mほどにある峯塚(みねづか)古墳へ向かった。
県道から枝道に入るところに説明板が立っている。
峯塚古墳(古墳時代終末期)
峯塚古墳は杣之内町に所在する古墳時代終末期の円墳です。東方から延びる尾根の南裾に位置し、南向きに開口する横穴式石室を有しています。
墳丘は3段に築かれており、各段の裾の直径は下段から順に35.5m、28.4m、17.6m、墳丘の高さは約5mあります。墳丘上段の葺石は凝灰岩質砂岩の長方形の切石をレンガのように葺いたもので、中段・下段には径5cm程度の円礫が葺石い用いられていました。墳丘の周囲には周濠が巡っていた可能性も指摘されています。
横穴式石室は全長11.11mの大きなもので、羨道の入口付近を除くと築造当時の姿をよくとどめています。玄室は長さ4.46m、奥壁幅2.58mで、天井石までの高さは2.4mあります。玄室に使用されている石材は、大きなものでは幅4.5m、高さ1.2mにおよび、2段構成で玄室の天井石を支えています。いずれの石材にも丁寧に加工された切石が用いられており、古墳時代終末期の横穴式石室の特徴を示しています。
石室内は早い時期に盗掘されたらしく、副葬品や棺に関する手掛かりは残っていませんでしたが、石室の特徴からみて7世紀代に築造された古墳と考えられています。同じ杣之内町内に所在する塚穴山古墳とともに、大和の古墳時代終末期を代表する古墳の一つに数えられます。2009年3月 天理市教育委員会
そこから先に進むと、のどかな里山の風景。
はっさくのような柑橘系の果実畑。
屋根付きの六地蔵の前で右に分岐。
道の端にも地蔵様。
目の前にフェンスが現れた。
猪除けということで鍵はかかっていない。
竹林の中に開口部が。
墳丘の形もわかる。
開口部の前に到着。
かがんで中へ。
玄室は約4.5m×2.5mの広さ。おおよそ7畳ぐらい。
高さは2.4m。日本のアパート・マンションの平均的な室内高で、十数人の見学者全員入ることができた。
奥壁右上隅。
全員が入っていると石室内の写真は撮れないので、最後尾で退出。
袖壁の脇から奥壁。
室内側にきれいな長方形を向けた巨石が2段。
側壁も美しく切り出された巨石が積まれていた。
反対側の側壁。
奥壁から入口側。
外へ出て振り返って。
フラッシュで。
もと来た道を県道へ戻る。
段々畑を横目に見ながらのハイキング。
県道沿いには、保昌塚(ほしょうづか)古墳も。
お碗をふせたような可愛らしい形が目立っていた(実際は峯塚古墳の見学前に前を通った)
つづく。