墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

天塚古墳 清水山古墳跡 京都府京都市右京区太秦松本町

前回のつづき。

京大前からバスで三条東山駅へ出て、地下鉄東西線で京都の街を横断し、7駅目の太秦天神川駅で下車。そこから徒歩9分と表示されていた天塚(あまづか)古墳へ向かった。

 

途中でマップ上に「清水山古墳跡」の表示があったので立ち寄る。

 

道路脇のブロック塀に寄り添うように石碑だけが立っていた。

 

後で検索した京都市のサイトによると、清水山古墳は全長約60mの横穴式石室を持つ前方後円墳だった。5世紀末~6世紀初頭の首長墓と考えられるそうだ。

しかし昭和48年(1973)に宅地開発により破壊され消滅してしまった。

https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/uk018.html

 

古墳跡の道路の反対側には川が流れていた。

 

グーグルマップに従って、細道へ。

 

その先は普通の住宅街だったが。

 

枝道を入ると目の前に墳丘の一部が現れた。

 

石碑には「伯清(はくせい)稲荷大明神」とある。

 

京都市による解説板だが、国史跡の指定を受けている。

史跡 天塚古墳(昭和53年3月3日指定)
この古墳は6世紀前半につくられたと推定される前方後円墳で、嵯峨野太秦古墳群のなかで、史跡蛇塚古墳に次ぐ全長70m余りの規模を持っている。墳丘にはめずらしく後円部西側の無袖式、西側くびれ部の片袖式と、2基の横穴式石室がある。
明治20年(1887)の石室発掘調査の際には、銅鏡、馬具、勾玉、鉄鏃など約400点の副葬品が出土した。それらはいま、京都国立博物館京都大学に保管されている。
近辺の古墳分布や遺物などを考え合わせると、この天塚は近くの蛇塚や甲塚と同じく、大陸から渡来してこの地域をひらいた秦氏一族の墓と推定され、往時の土木技術や一族の勢力圏を探る貴重な手掛かりとなっている。石室内には現在、伯清稲荷大神の祭壇がおかれ、巨岩の組み合わせを見ることができる。
京都市

 

文化遺産オンラインには、下記の情報も記載されている。

古墳時代後期、ここ桂川の左岸の京都市街地西部・嵯峨野では集中して大規模な前方後円墳等が営まれ、嵯峨野・太秦古墳群としてその特色が注目されていること。

・天塚古墳は古墳群中最大の蛇塚古墳に次ぐ規模で、蛇塚古墳の東約1kmにあること。
・墳丘は2段築成で、周囲には約20m余の幅の周濠があったことが古い地籍図により認められること。

・墳丘の全長は約73m、後円部径約40m、前方部の幅約50m、後円部も前方部も高さ約9m。前方部が発達した形態である。

http://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/191192

 

鳥居の先の石碑。

 

左側に石段がついていた。

 

くびれ部からの上り道?

 

くびれ部上から前方部裾方向。

 

前方部上への参道。

 

前方部上には柵で囲われた一画があった。

 

埋葬部の位置を示したものか?

 

振り返っての後円部方向。

 

墳裾に下りて前方部を見上げる。

 

裾についている道沿いに時計回りに進む。

 

苔の育ち具合からは、あまり人が歩いていなさそう。

 

石仏が祀られていた。

 

柵に沿って進む。

 

すると後円部の裾に横穴式石室の開口部があった。

 

その奥に伯清稲荷大神が祀られている。

 

大きな天井石。

 

側面の石も大きい。

 

左側の石柱は後からの補強か。

 

参拝して振り返ったところ。

 

再び柵に沿って進むと・・・

 

スタート地点の鳥居の場所に戻った。

 

なんと後で調べていて知ったが社務所の裏に、より大きな横穴式石室がもう一ヶ所あって入れるようになっていたとのこと。再訪せよとのことでしょうか・・・

 

こちらの方のブログに写真入りで紹介されています。

https://blogs.yahoo.co.jp/hiropi1600/48605328.html

 

 元来た道を戻っていて。

 

京都の街中に、こんなにしっかりとした墳丘が残っていることに驚き、感動した。

 

グーグルアースの写真でも墳丘の形がわかる。左上が後円部、右下が前方部。 

 

付近の住宅の家並み。