吉田神社参道の鳥居を背に西に100mほど進むと、きれいな白壁に囲まれた一画があった。
美術館の看板等は無く、閉じた門の表札には無字庵の小さな表札があるだけで、スマホマップを見ながらウロウロしていると公開時間の10分ほど前に門が開いてそれと分かった。
重森三玲庭園美術館は、吉田神社の社家(神職を世襲する家柄)であった鈴鹿家の邸宅(江戸期の築)を、昭和18年(1943)に庭園家の重森三玲(しげもりみれい)が譲り受け、庭園や茶室を創って住まいとしていたところ。
門から入って正面は敷地の西側、旧宅の主屋部(享保期頃の築)だが、現在は全面改修された文化施設「招喜庵」(一般非公開)となっている。
2006年に東側の書院庭園部が「重森三玲庭園美術館」として一般公開され、館長の重森三明氏をはじめとする重森三玲の遺族によって管理・運営されているとのこと。
11時ちょうどに書院庭園部への門が開き、中へ入った。
見学は予約制で、この日の見学者を自分を含めて4名だった。
お名前を聞き忘れたが、おそらくは館長の重森氏の話を伺いながらのツアーだった。
http://www.est.hi-ho.ne.jp/shigemori/open_01.html
最初に寛政元年(1789)築と伝えられる書院に上がり、書院の中から庭を眺める。
中心線上の一点からの「額縁」を見学者で交代しながら味わった。
方角は南向きになる。
ちなみに室内電灯の笠は、三玲と親交のあったイサム・ノグチのデザイン。
座った位置で石に相対すると、それぞれの石から視線を浴びているように感じられ、少し緊張した。
この書院前の庭は、重森三玲が1970年に創ったもので、「中央に蓬莱島、東西に方丈、瀛州、壷梁の三島を配した枯山水庭園」となっている。
この庭の特徴は、他の寺社庭園などと比べると「住まいとしての江戸期の建築と調和しながら、茶を中心にした日々の暮らしに則している点にある」そうだ。
正面の大きな平たい石は、旧鈴鹿家時代から全く同じ位置にあるもので、神事が行われたとも考えられるとのこと。
横(門の方)から見た様子。
書院の側面を回りこんで振り返ったところ。
軒下の八角形の板は巻いた簾をロープで上げ下げする仕掛け。
苔の緑が雰囲気をやわらげる。
敷石のデザインは波模様。
お茶室の前の飛び石は小さな丸。
この「好刻庵」は重森三玲が昭和44年に自ら設計した茶室。
襖の市松の波の意匠がとてもモダンだった。
三玲の「市松」は東福寺庭園の石と苔が有名だが、庭の意匠では二度と使っておらず、ひとつの型に嵌るのを避けたようだ。発想の源は桂離宮にあると伺った。
内部の写真は外からのみ可。
柱や天井は表面を炭塗りで黒く仕上げられている。
こちらの照明器具は重森三玲自身のデザイン。
このあと室内に上がって見学させていただいた。
好刻庵の左奥に昭和28年に創られた茶室・無字庵があるが非公開。書院とともに国登録有形文化財となっている。
微風になびいていた簾。
重森三玲(1896~1975)については美術館のサイトに詳しいが、昭和を代表する庭園家(作庭家、庭園史研究家)で、代表作は京都の東福寺本坊庭園、光明院庭園、大徳寺山内瑞峯院庭園、松尾大社庭園など。
日本美術学校で日本画を学び、いけばな、茶道を研究し、その後に独学で庭園を学んでいて、茶道、いけばなの研究者としても重要な業績を残しており、主な著作には日本茶道史、日本庭園史図鑑、枯山水、日本庭園史大系、実測図・日本の名園などがあるそうだ。
http://www.est.hi-ho.ne.jp/shigemori/association-jp.html
wikipediaには見学可能な25ヶ所が紹介されている。
東福寺の本坊庭園は国指定名勝。
http://www.tofukuji.jp/temple_map/hojo_north_garden.html
重森三玲庭園美術館(旧宅)の入館料は、庭園と書院のみでは600円。
さらに茶室に入室する場合は合わせて1000円(12月~3月中旬と10月のみ)
http://www.est.hi-ho.ne.jp/shigemori/association-jp.html
重森三玲旧宅は、現在吉田神社界隈で格式ある社家建築の趣をつたえる、ほぼ唯一の遺構になるそうだ。
重森三玲庭園美術館を見学後は京都大学正門前を通って東大路通へ。人の流れに乗って中へ入ったら、入試発表の直後だった。