墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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旧乃木邸 東京都港区赤坂

訪ねた日は異なるが前回と同じ場所。

乃木神社側から旧乃木邸への門をくぐったところ。

斜面の苔がきれいだった。

 

本邸は外観のみ見学可。2階の周囲を巡る誘導路がついていて窓の外から内部を覗くことはできる。1階の壁が大谷石、2階は黒い板で、山小屋のような外観。

 

建物東側にあった祠。乃木家の祖先と日露戦争で亡くなった御令息を祀っている。

 

乃木大将と辻占少年の像。

 

明治24年に金沢に行った折、辻占を売って生計を支える8歳の今越少年に感銘を受け2円を手渡したところ、今越氏は恩を忘れず努力を重ね金箔業で大きな実績を残したとのこと。

当時の2円は今の4~5万円のようだ。

明治時代の1円は現在の価値に換算するといくらでしょう? - ... - Yahoo!知恵袋

 

以下は辻占 - Wikipediaより抜粋。

江戸時代には、辻に子供が立って御籤(これも一種の占いである)を売るようになり、辻占と呼んだ。さらに、辻占で売られるような御籤を煎餅に入れた辻占煎餅(フォーチュン・クッキーはここから派生したもの)が作られ、これのことも辻占と呼んだ。石川県の金沢市には正月に色とりどりの辻占煎餅を、縁起物として家族で楽しむ風習があり、現在も和菓子店における辻占の製作風景は、年末恒例の風物詩となっている。

 

正門側の乃木邸玄関。

 

説明板があった。

東京都港区指定文化財 有形文化財 旧乃木邸及び馬小屋

旧乃木邸は、明治35年(1902)に新築されたもので、乃木希典大将夫妻が大正元年(1912)9月13日、明治天皇御大葬の日、明治天皇に従って殉死するまでここに住んでいた。将軍が、ドイツ留学中に見たフランス軍隊の建物を模範にして建てたというもので、明治期の洋風建築が接客を目的とする豪華な建物か、和風住宅に洋風の応接室を付属させたものが多いのに比べこの邸宅は、軍人の家らしく、飾り気がなく簡素で合理的に作られている。建坪は168㎡、木造平家建、日本瓦葺で、傾斜地を巧みに利用し、建物全体に半地下構造をもつ。

馬小屋は、平家建、日本瓦葺で、邸宅が新築される以前、明治22年(1889)に建てられた。間口約12.5m、奥行約4.5mの細長い建物には、4つに区画された馬房や、馬糧庫等がある。住居が木造であるのに対し、馬小屋が煉瓦造で立派だ、という評判があったもので、馬をかわいがり大切にした大将の人柄が偲ばれる。

昭和62年10月28日 東京都港区教育委員会

 

かつては見学路が中にもあったようだ。 

 

殉死された部屋も残っていた。

 

その部屋は南東側の角部屋だった。

 

下に降りて見上げる乃木邸。

 

半地下へ降りたところに内玄関があった。

 

明治期の煉瓦造りの厩。

 

2頭の馬が飼われていた。

 

愛馬の部屋。

 

厩の前では枝打ちの作業中。人が通っている間は作業が中断されるので、そそくさと出口へ。

 

門の外の公園から。

 

外苑東通りへ出て、再度煉瓦壁を味わった。