墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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国宝 迎賓館赤坂離宮(旧東宮御所)の外観 東京都港区元赤坂

11月の1日から3日にかけて迎賓館の前庭の、予約不要の一般公開があったので行ってみた。

JR四ツ谷駅の赤坂口で降りて西側へ歩くと、正門前の並木道が見えてくる。

 

正門で荷物検査が行われていて、11/3の14時過ぎだったが5分ほど並んでから中へ入った。 正門前の一般道では数人係での交通整理が行われていた。

 

敷地内から見た正門。これも国宝。

 

正門前からのアプローチの両側には松が植えられた芝生が広がる。左右に噴水があった。

 

そして石畳の本館正面広場へ。パッと見で、欧州に旅行した雰囲気。

 

国宝 迎賓館赤坂離宮(旧東宮御所)

明治42年(1909)の竣工。設計は片山東熊(かたやまとうくま)

 

以下はいただいたパンフから。

江戸時代、紀州徳川家の広大な中屋敷があった一角に、明治の末に当時日本の一流建築家や美術工芸家が結集して東宮御所が建設された。

日本における唯一のネオ・バロック様式の西洋風宮殿建築で、東西約125m、南北約89m規模の地上2階、地下1階。

壁の厚さは最大で1.8mあり、鉄骨を組んだ上に煉瓦を積む鉄骨補強煉瓦造り。壁表面を茨城の真壁産の花崗岩で覆っている。

昭和42年に国の迎賓施設に充てられることが決まり、翌年から5年をかけて改修と別館新設がなされ、昭和49年(1967)に迎賓館となった。

平成21年に創建当時の建造物である旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)本館、正門、主庭噴水池等が国宝に指定された。

 

表面は花崗岩でも躯体が煉瓦であったことが意外だった。 

 

東翼は東宮御所時代に皇太子のための玄関だったとのこと(西翼は皇太子妃)

この時の皇太子嘉仁親王は後の大正天皇だが、建物外観があまりにも華美に過ぎたことや、住居としての使い勝手が必ずしも良くなかったことから、ほとんど使用されなかった。大正天皇に即位した後は離宮(赤坂離宮)となった。

その大正天皇の皇子・皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)との婚儀が1924年(大正13年)成ると、その後の数年間、赤坂離宮は再び東宮御所としてこの一家の住居となったが、裕仁親王が天皇に即位した後は離宮として使用されることも稀になった。

以上は迎賓館 - Wikipediaより。

 

上記の写真の右上、4羽の鳥(雷鳥?)が星のついた天球儀を背にしている。

 

中央破風には菊の御紋。その上の左右にはよく見ると甲冑武者の装飾が載る。

 

正面は常に人だかりだった。正面玄関がほぼ北向きであるのは軍施設を向いていたからとボランティアガイドの方から説明を受けた。確かに正面の軸線上1kmほどに現在も防衛省(航空自衛隊市ヶ谷基地)がある。

北向きで逆光になるので、本館を正面玄関から撮るのは結構むずかしい。

 

レリーフの施された壁面。

 

入口ドアは3つ連なる。

 

向かって左側の扉。豪華な内装(中央階段?)がチラリと見えた。

 

中央扉は上部に菊の御紋が入る。16枚の花弁は「直系」の証。

 

豪華な内部は公式サイトにあるpdfで垣間見ることができる。

http://www8.cao.go.jp/geihinkan/tayori1-3.pdf

 

正面玄関側から見た正門方向。

 

西翼側。両翼にカーブがあってネオ・バロック様式の特徴を表す。

 

5つも灯が付いた玄関の門柱。当初はガス燈だったのだろうかと思ったら、当初からイギリス製の自家発電装置を備え付けて照明には電気を使っていた

 

両翼の玄関前にはアールヌーボー風の屋根がついていた。

 

西側壁は秋の西陽を受けて輝いていた。広場で緑の幟が立つ場所にボランティアガイドの方がいらして、興味深い解説をうかがうことができた。

 

敷地の東側にはニューオータニホテルや建設中の新しい赤坂プリンスが見えた。

ここは東京中心部でも標高が高く地盤が強固であるとのことだった。それでもさらに鉄道レールを埋め込んで基礎にしている。

 

関東大震災にも空襲にも耐えた建物。

実際は1945年5月の東京大空襲で焼夷弾を受けたに際に職員の方々が捨て身で守ったそうです。

 

家族で参加しましたが、貴重な歴史遺産を目の前で見られてとてもよい経験ができました。関係者の方々に御礼申し上げます。

 

年に一度、豪華な内部を参観のチャンスもあります。

2015年は5月に応募受付、8月18日から27日で2万人が参加したそうですが、自分は抽選に漏れてしまいました。来年再度トライしようと思います。

迎賓館参観について : 迎賓館 - 内閣府