9月13日(土)の講演会の後、近くの姉崎古墳群の内、前回たどり着けなかった2つの古墳を目指した。
午前の講演会で「六孫王原古墳」が言及されたので、これは行かねばと思ったので。
車で15~20分ぐらいの距離。
・堰頭(せきがしら)古墳
前方後円墳 6世紀後葉 全長46m 埋葬施設不明(「房総の古墳を歩く」より)
前回(2013年12月)目の前に来ていながら、確認できなかった古墳。姉崎神社から尾根沿いの道を進んだ先、2車線の道が急に林道のようになるその入口左にあった。
ただし説明版等がないので、道行く人には全く解らない。下の写真の看板(古墳とは無関係)の裏側になる。
上記の道は尾根道なので、左側(北側)は台地下。青葉台という住宅地になっていて、遠くまで見通せる。
道の先は、下記のように続いている。車一台なら通れるが先へは行かなかった。
道にはいって、すぐ左側の写真。かろうじて土の盛り上がりがわかる程度。
・六孫王原(ろくそんのうばら)古墳(下記は「房総の古墳を歩く」より)
前方後方墳 7世紀前葉 全長45.5m
前方部幅25m 高さ1m、後方部幅26.8m 高さ2.5m
埋葬施設:横穴式石室(後方部南側)、切石積
出土品:鉄刀1、刀子片1、砥石、金銅製鏡板、金銅製留金具、須恵器大甕
備考:周溝長方形 1970年発掘調査(早大考古学研究室中村恵次他)
堰頭古墳の手前200mほどにある信号脇に案内標識があり、すれ違いのできないマンション裏の細道の、どん詰まりにあった。
説明板もあった!手前が前方部、奥が後方部になる。
説明板
市原市指定史跡 六孫王原古墳
所在地 市原市姉崎3221-10
指定 平成7年3月7日
六孫王原古墳は、姉崎古墳群を構成する最終段階の首長墓と推定される前方後方墳です。
全長45.4mの墳丘周囲に、東西53m、南北33mの外形が長方形の周溝をめぐらし、後方部の中央やや南よりに開口する凝灰質砂岩製の切石積横穴式石室が設けられていました。
昭和45年などの発掘調査によって、副葬品と推定される金銅製馬具・直刀・刀子・鉄鏃や、須恵器大甕・長頸壺などが出土しています。これらによって、当古墳は7世紀中葉頃に築造されたものと推定されます。
姉崎古墳群は、4世紀から7世紀にかけて、上海上国造(かみつうなかみのくにのみやっこ)とその前身豪族によって継続的に築造された、南関東最大級の古墳群です。
六孫王原古墳は、こうした姉崎古墳群の最終段階の首長という位置づけや、古墳時代終末期の国造級の首長墓の多くが方墳へと変化する中で、前方後方墳という特異な墳形を採用し、終末期の前方後方墳の中でも最大級であるなど、本市のみならず、日本考古学史上の貴重な古墳です。
平成8年3月 市原市教育委員会
左下の実測図の拡大。
墳丘に接近する。
前方部から後方部。左半身。
くびれ部付近の墳丘上に大木があった。
後方部先端部の隅。「後方部」の隅がきちんと角ばっている。
後方部から北側の眺め。マンションの中庭という風情。
右半分は網がはってあり立ち入り禁止になっている。石室があるはずだが、墳丘もくずれているようであり、藪も深いのでよくわからなかった。
墳丘の右側の眺め。マンションのすぐ横から鬱蒼とした林になる。
後方部から左側後ろを振り返ったところ。菜園があり、台地下も見通せる。
台地下の眺め。沿岸部工業地帯の煙突がよく見えた。