墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

箭田大塚古墳 岡山県倉敷市真備町箭田

峠古墳群のある歴史公園を見学した後は、車で西に20分近く離れた倉敷市真備町の国史跡・箭田(やた)大塚古墳を訪ねた。 

真備町は平成30年7月の豪雨災害で50人以上の方々が亡くなられた。御冥福をお祈りするとともに、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

 

箭田大塚古墳の周りは浸水域から500mほど北に離れていたようです。

県道54号沿いに見学用の駐車場がありました(写真右)

 

駐車場には埴輪レプリカの飾り。

 

町の名前である、倉敷市真備町(旧吉備郡真備町)は、吉備真備(きびのまきび)が生誕地であることから付けられたそうだ。

 

車道にあったサインに導かれ、車は入れない細道へ。

 

右に直角に曲がると目の前が古墳のある丘。

 

回り込んでいくと階段が。

 

見上げると墳丘の頭が。

 

大きな開口部。

 

引き込まれていきます。

 

振り返って。開口部は南南東を向く。 

 

羨道部にも巨石が組まれる。

 

残念ながら、玄室へは入れません。 

 

柵越しに玄室内部を見ると、壊れた石棺があった。

 

フラッシュで。

 

石室高は3.8m。奥壁は大きな大きな一枚岩。

 

扉前から振り返って。

 

敷地内に説明板が。岡山県三大巨石墳の一つだった。

箭田大塚古墳
国指定史跡 昭和4年12月17日指定
箭田大塚古墳は、古墳時代後期に造られた直径約50mの円墳で、長大な横穴式石室を有することから、岡山市・牟佐大塚古墳、総社市・こうもり塚古墳とともに、岡山県三大巨石墳の一つに数えられています。石室全長は19.1mを測り、棺を納める玄室の長さは8.4m、高さ3.8m、幅3.0mで、中には3基の組み合わせ式石棺が置かれています。
明治34年(1901)に行われた調査では、武器や馬具に加え玉類などの副葬品が発見されており、その多くは東京国立博物館に所蔵されているほか、一部は吉備寺にも保管されています。その後、昭和58年(1983)に保存を目的とした確認調査が行われ、墳丘の周囲を巡る周溝が確認されたほか、各種須恵器や形象埴輪、鉄鏃、鉄釘などが出土しました。この調査により、古墳の築造時期は6世紀後半頃で、墳形や南東側に張り出しをもつ円墳であることがわかりました。
倉敷市教育委員会

 

Yata-otsuka Burial Mound
The Yata-otusuka Burial Mound, constructed during the late Kofun period (the latter half of the 6th century),is of circular shape approximately 50 meters in diameter with a protrusion at its southeast side and a long, horizontal stone burial chamber in it. It is counted as one of the three largest stone burial mounds in Okayama Prefecture together with Musa-otuska Burial Mound in Okayama City and Komori-zuka Burial Mound in Soja City.
During an excavartion in 1901, burial items such as gems, weaponry, and horseback riding gear were discovered. Many of them have been stored in the Tokyo National Museum with some sotered in Kibi Temple.

 

副葬品の写真解説も。 

 

環頭大刀の柄頭装飾は「単龍」

 

開口部を東側から。

 

パノラマで。

 

墳丘(円墳)の背面。

 

墳丘の北側には病院施設があった。

 

墳丘の南西側風景。左の木立が古墳が立地する丘。

 

さらに回り込んで。

 

一周しました。

 

総社市へ戻る途中の信号待ちで。緑の帯は高梁川の堤防。

川の向こうの山は左が福山、右が軽部山で、その間の鞍部麓に直前に訪ねた峠1,2,3号墳があると思われる。

 

高梁川の上流方向。