墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

朝夷奈(朝比奈)の切通し(前編・小切通) 神奈川県横浜市金沢区朝比奈町~鎌倉市十二所

2019GWの5月4日、とある建物特別公開があったので鎌倉へ。さらに周辺の”見どころ”も訪ねた。混雑を避けるため、朝早く金沢八景から“峠越え”をして、バスで藤沢に抜けた。

 

最初に向かったのは、朝夷奈(あさいな:朝比奈)の切通し。

 

グーグルマップで調べるとバスが使えたので近くまで乗車。最寄りバス停は「朝比奈(あさひな)」になる。県道に「朝夷奈切通」の表示がある。

 

その枝道が谷戸の奥へと続く。

 

車は行き止まり。

 

入口近くに解説板が2種類あった。

国指定史跡 朝夷奈切通(あさいなきりどおし)
朝夷奈切通は、鎌倉幕府が、仁治2年(1241)に鎌倉と六浦(現、横浜市金沢区)を結ぶ重要交通路として、山稜部を開削して建設した道路です。幕府の歴史を記録した「吾妻鏡」には、執権北条泰時が自ら現場に出向いて工事を指揮したとあります。当時の六浦には天然の良港があり、切通の開通によって幕府はこれを鎌倉の外港とし、東国や中国大陸との物流の拠点としました。六浦と朝夷奈切通は、幕府と都市鎌倉を政治的・経済的に支える重要な役割を果たしました。
朝夷奈切通は、その後崩落するたび改修されて現在に至っていますが、横浜市側に小切通、市境の峠に大切通という山を深く掘り下げた特徴的な遺構や、道沿いに中世の納骨施設である”やぐら”が多く残っています。また、大切通の南側山腹には、鎌倉の守護神と伝えられる熊野神社があり、江戸時代に再建された後、氏子たちによって社殿と祭事が現在に受け継がれています。
平成25年8月 横浜市教育委員会

 

こちらは平成2年に設置されたもの。微妙に異なる情報が載る。

国史跡 朝夷奈切通
昭和44年6月5日指定
鎌倉幕府は、仁治元年(1240)六浦津との重要交通路として、路改修を議定、翌年4月から工事にかかりました。執権北条泰時自らが監督し、自分の乗馬に土石を運ばせて工事を急がせたといいます。
当時の六浦は、塩の産地であり、安房・上総・下総等の関東地方をはじめ、海外(唐)からの物資集散の港でした。舟で運ばれた各地の物資は、この切通を越えて鎌倉に入り、六浦港の政治的・経済的価値は倍増しました。
また、鎌倉防衛上必要な防禦施設として、路の左右に平場や切岸の跡とみられるものが残されています。
鎌倉市境の南側には熊野神社がありますが、これは鎌倉の艮(うしとら)の守りとして祀られたと伝えられています。
鎌倉七口の中、最も高く険阻な道です。
社団法人横浜国際観光協会 横浜市教育委員会文化財課 平成2年3月

 

出だしいきなり横浜横須賀道路の橋をくぐる。

 

橋が載る側壁は手彫りの雰囲気だが、わざわざ残したのだろうか?

 

少し進んで振り返って。

 

先はハイキングコースの雰囲気。

 

庚申塔(?)が昔の面影を醸す。

 

すぐに小切通が見えてきた。

 

小とは付くが、かなり深く掘り込んでいる。

 

フラッシュを焚く知恵が回らず、左の方は真っ黒になってしまった。

 

通り過ぎて振り返って。高さ(深さ)は最大10mくらいあるのではないか。

 

崖のかなり高い位置に窪みがある。監視役が詰めるにしては高いが...

 

暗かったほうの壁を正面から。

 

さらに進んで振り返って。

 

その先の杉林。朝の日差しで明るかった。

散策やトレイルランの方と数組すれ違った。

 

路の脇には横穴墓のような穴がいくつもある。

 

こちらは結構大きなサイズ。 

 

踏み跡があったので上がってみた。 

 

そこから見た外の様子。開口部が大きく、路を見張るのにはちょうどよいように思えた。納骨施設であったとしたら路から目立つ場所を選んだのだろう。

 

しばらく進むと大切通が迫ってきた。

 

その前で左に、最初の解説板に“鎌倉の守護神”と記されていた熊野神社への分岐があったので参拝に向かった。

 つづく。