墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

特別展 運慶 鎌倉幕府と霊験伝説 @神奈川県立金沢文庫

昨年は東博の運慶展に感銘したが、 それと関連もする運慶展を金沢文庫へ見に行った。

 

ポスターになっているのは愛知県瀧山寺(たきさんじ)の梵天立像。像高106.5cmの木造で、明治初期に補修された彩色がよく残る。

東博で展示された聖観音の脇侍(帝釈天像との三尊像)で、製作年は正治3年(1201)頃。重要文化財

http://takisanji.net/jihou_hou_bonten.html

 

東博の運慶展のサイトでは、「肉付きの良い体体と写実的な着衣の表現など運慶の特色が顕著」であり、瀧山寺縁起や聖観音像の像内納入物から、三尊とも作者は運慶・湛慶(たんけい:運慶の長男)とすると解説されている。

http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1861#top

 

壮観だったのは、12体が一列に並ぶ神奈川・ 曹源寺の十二神将立像(重文:像高約70~90cm)、運慶工房の作。

 

神奈川・光明院の大威徳明王は高さ21.2cmと小振りだが、納入品から運慶作と判明した像。

光触寺の阿弥陀如来立像(像高97cm)と両脇侍立像(秘仏)も運慶作と伝えられる(どちらも重文)

 

運慶作では仏像だけではなく、舞楽面(神奈川瀬戸神社・木製彩色・重文)もあった。

 

運慶の父・康慶やその一門である慶派の仏師の手による仏像も展示されているが、実慶による静岡修善寺大日如来座像は、東博で見た運慶の大日如来座像(円成寺)とよく似ていて、気品があって素晴らしかった(像高約1m・重文)

昭和59年の解体修復で「承元四年(1210)庚午八月二十八日 大仏師實慶作」と書かれた墨書が出て、幻の仏師といわれた実慶の作例の、最初の発見となっている。

修善寺のサイトに下記のようにある。

実慶という名前は、寿永二年(1183)に記された国宝の「運慶願経」の第八巻結縁者の中に、快慶らと並んで記されており、慶派でも名の通った仏師とみられていましたが、その作例は未発見でした。
また函南町桑原薬師堂の木造阿弥陀如来と両脇侍の胎内からも実慶の墨書が確認されたことから、東国で活躍した仏師であったことが想像できます。

http://shuzenji-temple.com/jihou3.html

修善寺でもこの本尊は毎年11/1からの10日間しか拝観できないので貴重な機会では。

 

3月11日まで。一般800円。

https://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/bunko/tenji.html

 

金沢文庫(美術館)の正面から、トンネルをくぐると称名寺境内は国指定史跡。

 

ちょうど梅の季節。 

 

そこはかとなく漂う香り。

 

 前回来た時は12月。

 

仁王門を参道から。桜並木なので花の季節にも来てみたい。

 

参道の途中にあった、塔頭・光明院の表門。

 

その解説板。寛文5年(1665)に建てられた四脚門。

 

赤門(山門)から振り返って。

 

外の道に面した山門(赤門)前から。ここにバス停があるが、金沢文庫駅までは徒歩でも12分程。

 

 山門(赤門)の前にあった解説板。

国指定史跡 称名寺境内
指定:大正11年(1922)10月12日 63,956㎡
追加指定:昭和47年(1972)1月31日 91,289㎡
管理団体:横浜市
金沢山称名寺は、13世紀半ばに創建された金沢北条氏一門の菩提寺で、「木造弥勒菩薩立像」(鎌倉時代重要文化財)を本尊としています。
もとは鎌倉幕府の重臣北条実時(1224~1276)が邸宅内に設けた阿弥陀堂から始まったと言われ、初めは念仏の寺でしたが、のち真言律宗に改められました。二代顕時(1248~1301)が受け継ぎ、三代貞顕(1278~1333)の時代に大規模な造営が行われました。元亨3年(1323)「称名寺絵図」(重要文化財)には、苑地のまわりに七堂伽藍を配置した最盛期の称名寺の様子が描かれています。
また、寺に隣接して設置された文庫には、貴重な文物が収集されていました。その一部は、寺と神奈川県立金沢文庫に継承されています。
大正11年(1922)、「称名寺絵図」に描かれた結界域と歴代金沢氏・住職の墓域が、ついで昭和47年には背後の山稜部や惣門付近が国の史跡に追加されました。
平成25年3月 神奈川県教育委員会 横浜市教育委員会