前回のつづき、大切通の手前で熊野神社への参道に入る。
平坦だが予想したより距離があり、心細くなってきたときに石段が現れた。
静かで、厳かな空気に包まれる。
石段を上がって振り返って。
拝殿に参拝して後ろに回ると、井戸の祠と本殿に続く急階段(立入禁止)があった。
脇の参詣路を上がって本殿へも参拝。
本殿前から拝殿を。
参拝路を戻る。この時間、ほかの参拝客はなかった。
細い杉が密に植わるが、きちんと手入れされている印象。
この枝道にも”やぐら”があった。
分岐に戻って「大切通」へ。先行者がおられた。
掘り下げた深さは20mくらいありそう。
壁の下方に四角く掘られた空間もあった。
掘った跡と地層のラインが交錯している?
通り過ぎて振り返って。地図で見ると、まだ横浜市内で、鎌倉市との境はもう少し西になっていた。
上記の右側壁は大きく掘りこまれていて、梁を架けたような穴も穿たれていた。
観音様の浮彫も。
そこからの下り道。天気は良かったが川のように水が流れる箇所があった。
その先で振り返って。
延宝三年と彫られたお地蔵様。
さらに進んで振り返って。昔と変わらぬ風景では。
崖面のシダを見上げて。
散策路の出入り口近くで、湾曲した壁。
出入り口には昭和16年に鎌倉市青年団が建てた石碑があった。
その後ろには高さ3mほどの滝。
鎌倉市側の説明板。横浜市のものと微妙に違う表現があった。
国指定史跡 朝夷奈切通
朝夷奈切通は、いわゆる鎌倉七口の一つに数えられる切通で、横浜市金沢区六浦へと通じる古道(現在の県道金沢・鎌倉線の前身)です。鎌倉時代の六浦は、鎌倉の外港として都市鎌倉を支える重要拠点でした。「吾妻鏡」には仁治2年(1241)に、幕府執権であった北条泰時の指揮もと、六浦道の工事が行われた記事があり、これが造られた時期と考えられています。
その後、朝夷奈切通は何度も改修を受けて現代にいたっています。丘陵部に残る大規模な切岸(人工的な崖)は切通道の構造を良く示しており、周辺に残るやぐら(鎌倉時代の墓所)群、切岸・平場や納骨堂跡などの遺構と共に、中世都市の周縁部の雰囲気を良好に伝えています。
平成21年3月 鎌倉市教育委員会
その先の林道脇、グーグルマップに「梶原太刀洗水」と記された辺り。
舗装路に出て振り返って。ここが鎌倉市側の入口になる。
その背面の様子。