墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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千葉県立中央博物館「千葉の鉄道が拓いたー観る・住む・運ぶ」展~七天王塚 千葉県千葉市中央区青葉町・亥鼻

前回のつづき、千葉市の青葉の森公園内にある千葉県立中央博物館。 

 

エントランス手前から半地下空間を見下ろす。 1988年に完成した建物で設計は日本設計。

 

6月2日まで、企画展「千葉の鉄道が拓いたー観る・住む・運ぶ」が開催されている。

エントランスホールではプラレールの展示も。

 

企画展示室には写真や実物資料、模型などが並び、「鉄道の発達とそれに伴う千葉県の社会・世相の変化」が紹介されていた。

 

奥壁には千葉駅の変遷が写真で。

 

懐かしい、国鉄カラーのHOゲージ。

 

三里塚を通っていた軽便鉄道の成田多古線・八街線の路線図。

 

見ていてワクワクする鳥瞰絵図もいくつか。これは小湊鉄道(拡大パネル)

 

無料で配布されていた小冊子が素晴らしかった。

 一般300円。常設展示も見ることができる。

http://www2.chiba-muse.or.jp/www/NATURAL/contents/1544315794850/index.html 

 

その常設展示も、歴史と自然をテーマとした複数の展示室があって大変見ごたえがある。特に地質関連が充実しているのでは。

もちろん古墳関連も興味深い展示があるが残念ながらどの部屋も撮影禁止。公式サイトで展示室の雰囲気がわかる。

http://www2.chiba-muse.or.jp/www/NATURAL/contents/1517498506207/index.html

 

博物館見学後は公園北側から続く直線道を、千葉大学医学部の敷地を右手に見ながら千葉市美術館の方へ向かう。

途中左側に、中世に千葉氏が築いたと伝わる塚が2ヶ所あった。

 

その一つ。

 

解説板もある。

千葉市文化財 七天王塚
千葉市中央区亥鼻3丁目281番地
千葉大学医学部構内に散在する七つの古墳は「七天王塚」または「七つ塚」と呼ばれ、古くから疾病・災害を除く神として崇められています。塚の上の古碑に刻まれている「牛頭天王」は千葉氏の守護神の一つで、千学集抄には「千葉の守護神は曽場鷹大明神、堀内牛頭天王云々…」と記されています。このことから千葉氏は、猪鼻城の大手口に崇敬する北斗七星の形に七つの塚を配置して牛頭天王を祀り、一族の繁栄を祈ったものと考えられています。また一説には、この七天王塚は千葉市の七人の兄弟を葬った墓であるとか、平将門の「七騎武者」の墓とも伝えられいますが定かではありません。
平成11年3月 千葉市教育委員会

 

6年前に訪ねた時は鬱蒼としていたが、今は幹が残るだけ。

 

祠と参拝路もあった。

 

祠の前から道路方向。

 

その東側にある一基は樹木の勢いが強い。 

 

太い幹(根?)が壁のように周囲を固める。

 

真横はアパートの入口。玄関開けたらすぐに塚。

 

根元に石碑が。

 

説明板もある。残りの塚は千葉大学の構内。

古墳を転用したものもあったのではないか…?

千葉市文化財 七天王塚
千葉市中央区亥鼻3丁目271番地

猪鼻城または千葉城ともいわれる千葉氏の居城があった猪鼻山は、北は都川、西は断崖に面した天険の要害の地で、その大手口にあたる現在の千葉大学医学部構内外には、千葉氏が一族の繁栄を願って作ったといわれる「七天王塚」が残されています。(以下は前出解説と共通)
平成11年3月 千葉市教育委員会

 

 千葉大学医学部本館の建物は昭和12年の竣工、と6年前の”歴史散歩”で教わった。

http://massneko.hatenablog.com/entry/2013/10/19/203952

 

時間的に千葉市美術館は難しくなってきたので、南に坂を下りてモノレールの県庁前を目指すことにした。

 

坂を下りて右へ曲がると東禅寺。前出の”歴史散歩”では鎌倉期の薬師如来を参拝した。

 

その先に県庁別館(の廃墟?)

千葉県文化会館のすぐ裏手になる。

結局、本千葉駅へ歩いて蘇我駅から帰った。