墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

賤機山古墳(賤機山3号墳) 静岡県静岡市葵区宮ヶ崎町

前回のつづき。

駿府城公園の西端から600mほど歩いて静岡浅間神社の境内エリアに着く。

正面は敷地内にある静岡市文化財資料館。

 

資料館の右側の道を入っていくと広場のようなところに出た。

 

静岡浅間神社は神部(かんべ)神社・浅間(あさま)神社・大歳御祖(おおとしみおや)神社の三社の総称で、三社はいずれも独立の神社として祭祀が行われているとのことだった。賤機山の麓の境内には多くの社殿が建つ。

 

上記の境内図の中央上、石段の先に古墳が描かれていた。

石段脇の八千戈神社にまず参拝して、古墳へ向かった。

 

八千戈神社の左手の石段。港区の愛宕神社を思い起こさせる斜度と高さがあった。

 

石段を上ると左手に墳丘が。「あぶないので古墳のうえにのぼらないでください」との注意書きが。

 

「史跡賤機山古墳」と刻まれた石碑。

 

石碑の横の案内図。古墳の入口は反対側にあった。

 

墳丘を左に見ながら一旦階段を下る。

 

境内の南端にある大歳御祖神社(おおとしみおやじんじゃ)の社殿左側からの道が近道だった(下の3枚は後で降りてから写したもの)

 

上記のすぐ左手には針塚がある。

 

上り口にあった案内図。賤機山古墳に向かって大歳御祖神社の神門・拝殿・本殿が直線状に並ぶ。

文化遺産オンラインには上空からの写真が掲載されている。 

http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/138657

 

賤機山古墳入口への階段。

 

階段を上って振り返ったところ。 八千戈神社脇の石段を登って来ると一旦墳丘右手の坂を降りてまたここを登ることになる。

 

賤機山古墳は、竜爪山(りゅうそうざん)から南に伸びた丘陵の先端に位置する。

細長い部分だけで6kmを超える。

 

賤機山古墳(3号墳)は6世紀後半に築かれた直径約32m・高さ約7mの円墳。

 

説明板の左には構造を示す模型もあった。さすが国史跡。

 

横穴式石室はほぼ南に向けて開口する。

 

扉の下部のデザインは出土遺物からのものか。

 

扉に近づくと玄室に明かりが点った。扉には鍵がかかっている。 

 

ズームで。石棺の置かれた玄室は高さが3.8mにもなる。 

 

説明板にあった石室と石棺の実測図。

玄室は6.5m、羨道とかつてあった前庭を合わせると11.7mで計18mを超える全長の石室だった。

 

側壁の石の表面は自然のままのようだったが、よく見ると鋼材で補強され、石の隙間はセメントが充填されていた。保存修復工事は平成5年~8年にかけて実施されている。

 

見事な石棺の幅は約1m、全長は3m近い。伊豆産の凝灰岩を刳り抜いて造られている。

麓の静岡市文化財資料館に実物大のレプリカがあって側面の様子もじっくり観察できた。

 

以下は説明パネルから。

左端は国史跡・賤機山古墳(しずはたやまこふん)の文字と、その下に古墳マップ。

緑の濃い部分が丘陵で、丘陵の端という端に古墳が築かれていたことが分かる。

 

隣に賤機山古墳の概要。

賤機山古墳
賤機山古墳は、静岡平野の中心部に突き出た賤機山の南端に造られています。

葬られた人物は特定できませんが、6世紀後半にこの地方を治めた有力な豪族の墓と考えられます。
古墳の形は、直径約32m、高さ約7mの円墳で、内部には巨大な横穴式石室が造られ、石室内には遺体を納めた家形石棺が置かれています。

 

続いて石室の解説。

横穴式石室
賤機山古墳の横穴式石室は、巨石を組み上げて造られ、県内最大の規模を誇ります。
石室は、遺体を安置する玄室を、玄室への通路である羨道~前庭とからなり、南に開く羨道の入口は、遺体を納めた後で人頭大の川原石が積まれ塞がれました。
玄室と羨道の床には、拳大の川原石が敷き詰められ、奥から入口にかけては緩やかに傾斜しています。
玄室と羨道の上には、重さ14トンを超える巨大な石を含む7個の天井石が載せられ、天井石の上は雨水の浸透を防ぐために粘土で覆われています。
石室の石材は、高草山南端の大崩海岸から運ばれたと考えられています。

 

8つの突起を持つ家形石棺は全長2.91m。

家形石棺
賤機山古墳の石棺は、家の屋根の形をした蓋と、箱形の身の部分から成る長さ2.91mの大型の家形石棺で伊豆の凝灰岩を刳り抜いて作られています。
蓋には、四角形の突起が、左右に3対(6個)と前後に1対(2個)付いています。8個もの突起を持つ家形石棺は、全国的には珍しく、この地方独特の形と言えましょう。
蓋と身の合わせ目には、ベンガラ(鉄の赤色酸化物)が塗られていました。

 

最後に出土遺物の解説。

出土遺物
石室内は、過去に盗掘に遭い、副葬品の一部は失われました。特に、石棺は側面に穴をあけて内部があらされ、棺内には、冠帽の破片やガラス玉などがわずかに残されていたのみです。
しかし、石棺外には、遺物が数多く残され、中でも奥壁の前、石棺の西側、羨道からは、それぞれまとまって出土しました。遺物には土器や装身具、武器、武具、馬具、銅鏡、銅鋺などがあり、これらの遺物の時代は、6世紀後半から7世紀前半に及んでいます。
また、前庭の入口では、数個の甕が破片の状態で出土しましたが、これは、墓前でのお祭りで使われたものと考えられます。

 

遺物の出土状況やCTスキャンした写真もあった。

出土遺物の現物も静岡市文化財資料館にて展示されていた。

 

石室前から南側の様子。現状では木々が繁っていて眺めはあまり得られなかった。

 

静岡市のサイトにも詳しい解説がある。

http://www.city.shizuoka.jp/000_002439.html