墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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新原・奴山古墳群(その4:展望所) 福岡県福津市奴山

34号墳あたりから一列に続く円墳群の先(南東)が高台のようになっていたので、そこを目指しました。

 

高台下でくつろいでいた古代人かかし。足の裏のあるかかしは初めて。

 

登ると貯水池があり、堤の通路を進みます。

 

左手には、雄大な景色。菜の花畑の馬も、かかし。

 

その先の展望所にいる「人」が、下から見えていて気になっていましたが、かかしでびっくり。佇まいがリアル過ぎ。

 

こちら側から舌状に突き出す台地先端に新原・奴山古墳群が形成されたことがよくわかります。右奥は宗像大社中津宮のある大島。

 

沖ノ島、宗像神社とともに新原・奴山古墳群の世界遺産関連遺産群として登録されています。


世界遺産登録を記念する石碑。

世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
新原・奴山古墳群
世界遺産登録年:2017年
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群は、全人類の利益のために保護されるべき顕著な普遍的価値をもつ文化遺産として、「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」による世界遺産一覧表に記載されています。 
本遺産群は、古代から現在まで発展し、継承されてきた神聖な島を崇拝する文化的伝統の希有な物証です。航海安全に関わる古代祭祀のあり方を物語り、4世紀から9世紀の間の東アジアの諸国間の重要な交流を示します。 
新原・奴山古墳群は、沖ノ島を崇拝する伝統を育んだ古代豪族宗像氏の人々の存在を証明します。 

 

構成する施設・遺跡の解説。

世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
本遺産群は、沖津宮(沖ノ島、小屋島、御門柱、天狗岩)および沖津宮遥拝所、中津宮、辺津宮からなる宗像大社と、新原・奴山古墳群によって構成されます。 
九州本土から約60km離れた沖ノ島には、日本列島、朝鮮半島および中国大陸の諸国間の活発な交流に伴い、4世紀後半から9世紀末まで続いた、航海安全に関わる古代祭祀遺跡が残されています。 
古代豪族の宗像氏は、沖ノ島に宿る神への信仰から宗像三女神信仰を育み、沖ノ島は三女神をまつる宗像大社の一部として、島にまつわる禁忌や遥拝の伝統とともに、今日まで神聖な存在として継承されてきました。

福津市教育委員会

 

新原・奴山古墳群の解説。

新原・奴山(しんばる・ぬやま)古墳群
国指定史跡 津屋崎古墳群
指定日:平成17年3月2日
新原、奴山古墳群は、沖ノ島で祭祀を行い、大陸との海を越えた交流を担った古代豪族宗像氏の墳墓群です。5世紀から6世紀かけて築かれた前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基の計41基が現存します。 
当時の入海に面した台地の中心部には、22号墳をはじめとする前方後円墳や大型の円墳が築造され、その周辺に中小の円墳が分布しています。台地上からは大島を始めとする島々が浮かぶ玄界灘を一望でき、海域を行き交った船からも古墳群はよく見えたと考えられます。海との関わりで勢力を伸ばした宗像氏の性格をよく表す古墳群です。

 

この解説を描き起こしていて、末尾のほうに「墳丘の保護のため、古墳の上にはのぼらないでください」との注意書きがあることに気づきました。

申し訳ございません…。

(このあとにも何基か上がってしまいました…)

 

かかしが印象に残った風景でした。

 

この展望所に駐車スペースがあり、ここから園路を巡るのが正式な探訪ルートでした。

2024年2月下旬訪問