墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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新原・奴山古墳群(その1:15・18・19・21号墳) 福岡県福津市勝浦

宮地嶽古墳参拝後は津屋崎の古墳を北から巡ろうと、国道495号を北上しましたが、途中道路沿いに展開する新原・奴山古墳群の墳丘が目に入り、思わず立ち寄ってしまいました。

 

国道の左右に展開しています。国道の左側に高速バス停のような側道があったので、そこに停めました。そのあたりでは広い駐車場が整備されているようでした。

 

道路を横断して段差を登ると、菜の花畑に墳丘が。

北方向。

 

南方向。右に18号墳、左が15号墳。


まずは15号墳側の南へ向かうことにしました。

 

すぐ脇の19号墳が調査中のようでした。ぱっと見は前方後円墳の前方部に見えました。

 

15号墳の墳丘に上がらせていただいて北方向を。20号墳や24号墳などが見えています。

 

左の西方向には国道495号と、その先の整備中広場。その右には12号墳(前方後円墳)の墳丘が見えています。

 

19号墳側の南西方向。海側ですが、その際には丸山などの山塊があります。

 

15号墳をその標柱と。


15号墳の東側には21・22・23号墳のピンが立つ森がありますが、金網で囲われています。

 

金網の前に、21号墳の標柱とともに、「新原の百塔板碑」の解説がありました。

新原の百塔板碑
昭和49年福岡県指定文化財
5世紀前半につくられた新原・奴山21号墳の上に8基の石塔が建っています。石塔は当地から2.5km程離れた渡地区から切り出された玄武岩を用いています。石塔には梵字 (古代インド文字)とその下の円内に観音菩薩、金剛界大日如来、文殊菩薩、薬師如来等を線彫りしたものと、梵字のみのもの、釈迦如来の図像のみのものがあります。なかでも三方向に梵字がある石塔は、正面に「願共諸衆生往生安楽国、文永十一年八月日改立 勧進僧行円」とあり文永11年 (1274)に建てられたことがわかります。また国内で三例しかない珍しい重体至極梵字(いくつかの梵字を切り継いだもの)があります。
これらの石塔は鎌倉幕府の五代目執権である北条時頼が諸国を見て回っている時に、平家一族の霊を弔うために建てたとも、また、蒙古襲来の戦死者の供養に建てられたともいわれています。いずれにしても鎌倉時代中期の津屋崎の文化レベルの高さをうかがわせる文化財です。 
見学は福津市教育委員会にお申し出下さい。

 

施錠された金網扉ですが

 

金網の孔から覗くと板碑が見えました。

 

そのそばに新原・奴山古墳群全体のマップがあり、全容を把握できました。

※知らずに上ってしまいましたが、墳丘へ上がることは禁止されていました。

2024年2月下旬訪問