墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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島の山古墳から富貴寺へ 奈良県磯城郡川西町唐院~保田

前回の、島の山古墳からは川合大塚山古墳へ、奈良盆地を西へ歩きました。

 

島の山古墳の前方部(南)側の道を西へ歩きはじめると、「ならクル C10 太子道ルート」の表示が。

 

聖徳太子が斑鳩から飛鳥へ通ったという筋違い道はここだったのか、と感動しましたが、そのルートは島の山古墳の西辺(または東辺)を南北に通るもので、真西への道ではなかったようです。

筋違道(太子道)を行く ~聖徳太子の伝説が残る道~ | ええ古都なら

 

しかしその道、および左右への枝道はとても風情があり、雨の歩きを楽しめました。

 

木造家屋が多いということは材木屋さんが残っているということですね。

 

複雑な形状の瓦屋根も。

 

飛鳥川に到達。旅人の目印的な木あり。

 

飛鳥川を渡ります。飛鳥につながっています。

 

その川を渡って、富貴寺へ寄ってみることにしました。

 

飛鳥川の堤から西側に、二上山でしょうか。

 

またまた魅力的な道へ誘導されます。

 

トマトのようなトマレ

 

右を見て

 

左へ向かうと富貴寺は目の前でした。


寄棟造りの本堂は南北朝期築の重文。

 

その説明板。

 

富貴寺を西の曽我川の土手から振り返って。

 

曽我川は1㎞ほど北で大和川に合流します。ここまで歩いて越えてきた、寺川や飛鳥川も同じように合流して、河内平野へ流れていきます。

 

川の向こうに、目的地の川合大塚山古墳が見えました。

2024年3月中旬訪問