墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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月の輪古墳(後編) 岡山県久米郡美咲町英田青野

前回のつづきの、月の輪古墳。

その墳頂には、棺の位置と埴輪の跡が示されています(北側から)

 

西側から。

 

上記の一番左(北)、造り出しから上がって来た側には家形埴輪群。

 

その右、墳頂の真ん中あたりに中央棺。手前左右に楯形埴輪。

中央棺及び粘土槨
遺体を納めていた棺は長さ5.65m、幅0.5mの割竹形木棺で、まわりを粘土で固めていました。
棺内からは遺骸のほか、頸飾り、鏡、刀剣、短甲、銅鏃、鉄鏃などが出土しました。このコンクリート柱は粘土槨の外輪を示しています。

 

さらに右には南棺。やはり手前左右に楯形埴輪。

南棺及び粘土槨
棺は長さ3.10m、幅0.4mの割竹形木棺でまわりを粘土で固めていました。棺内からは頸飾り、鏡、竹製漆塗り竪櫛、刀剣、鉄針、石釧などが出土しました。
このコンクリート柱は粘土槨の外輪を示しています。

 

墳頂の縁には円筒埴輪。

 

方形区画というものもあります。

方形区画
墳頂には付近から集めた小形の角礫をもちいて方形区画が設けられていました。方形の各辺の長さは内辺で約7m、幅は1.2m前後で、内方から外方へ向けてわずかであるが傾斜していました。これはその一部を復元したものです。

 

北東側へ回って。

(左端が方形区画の案内札)

夢中になって写真を撮っていると、西の裾あたりでガサガサっと、鳥とかではないような音が。

 

熊ベルをリンリン(ガンガン?)鳴らして様子を見ましたが、すぐに静かになったので墳丘を降りました。

 

再び、造り出しの前から見上げた墳丘。

 

速足で車に戻ります。音がしたのは「王子の古墳」の方向。

 

その先の様子。もちろん行きません。


車で戻り始めてすぐの、道路脇にあった説明板。

月の輪古墳
月の輪古墳は、昭和28年に旧飯岡村民があげて発掘調査に参加し、学者、住民、学生生徒が一体となって取り組んだことから、月の輪方式という言葉まで生まれた程でした、この古墳の西北の円い山には、月の輪古墳と同時代に造られた釜の上古墳があり、中腹には延暦2年(783)に創建されたと伝えられる釜の上五社宮跡があります。また月の輪の西の田tんには寺屋敷と呼ばれている所があり、その広さと墓石等から古寺の跡と考えられています。
環境省・岡山県

 

上記にある「釜の上古墳」への道が、林道から分かれています。

 

ちょっと入ってみましたが、やはり何かに出くわしそうな予感がしたので引き返しました。

 

麓の集落に降りて、ほっと一息。