墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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石神山古墳 福岡県みやま市高田町上楠田

熊本市内で暗い中、釜尾古墳を見た後は、北西に向かって県境も越えて福岡県の石神山(せきじんさん)古墳へ。

 

上楠田八幡宮に参拝。

 

社殿に左の道を上がって行くと、Y字路に別の建物。

 

その右の道を上がると、すぐに墳丘が見えてきました。

 

その解説板。石神山(せきじんさん)古墳は墳頂58.5mの前方後円墳です。

国指定史跡 石神山古墳 昭和51年2月6日指定
国指定重要文化財(考古資料) 武装石人(1箇)昭和51年6月5日指定
県指定有形文化財(考古資料) 石棺(3基)昭和34年3月31日指定
所在:みやま市高田町上楠田字山崎1337・1338
石神山古墳は上楠田集落の北方、当っ材にのびる丘陵西端の標高56mに立地する前方後円墳で墳丘の長さは約58.5m、造られたのは5世紀とみられます。
明治44年に付近を開墾中、阿蘇溶結凝灰岩を原材とした丸彫り像の石人1体と、大中小3基の刳り抜き式舟形石棺が発見されました。3基の石棺をおさめる石室などの施設はみられず、直葬と考えられ、石棺の内部は朱塗りされており、剣方、刀子(ナイフ・小刀)片、銅釧(青銅製腕輪)、鍍銀(薄い銀の膜で飾られた)銅器が出土しています。石人は高さ106㎝、衝角付冑(冑の前の部分が船のへさきに似ている)をかぶり、7段の草摺(腰、大腿を護る)と三板鋲留の短甲(胴巻き)を装着し、赤色顔料(水に溶けない絵の具材)が塗られています。顔面や右肩などを破損していますが、武装石人としては保存状況が良く、古墳時代の武人の姿が写実的に表現されています。
平成23年2月 みやま市教育委員会

 

最後の登り。

 

 

頂上には覆い屋。

 

中には、注連縄を巻かれた石人が。

 

着装しているのは三角板鋲留短甲。

その下に、7段の草摺(くさずり:腰部の防具)が表現されているとのことですが、縄でわかりませんでした。

 

表情はちょっとわからず。

 

別の棟には石棺。3ベッドルームという感じです。

 

小さな1基は、お子さんでしょうか。

 

お父さんとお母さんというイメージを持ってしまいます。

 

大きい方は蓋が破片状態。


”お母さん”の方は綺麗に残っています。彫ってある線は後からのものでしょうかね。

 

文化遺産オンラインによれば、3棺ともに後円部墳頂に直葬されていた(石室は無かった)と考えられるそうです。

石神山古墳 文化遺産オンライン

 

覆い屋の脇から前方部方向。

 

くびれ部あたりから前方部方向。

 

そこにあった気になる石。

 

前方部側から振り返った後円部。

 

前方部右裾から。

 

前方部の端から向こうは、急斜面で落ち込んでいます。

 

少し降りて、墳丘の側面(基壇?)を。


後円部裾にて。左奥へと前方部。