墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

オブサン古墳 熊本県山鹿市城

チブサン・オブサンの古墳がある肥後古代の森 山鹿地区は、江田船山古墳のある菊水地区から車で20分弱でした。

「山鹿地区」は菊水川の上流側の支流、岩野川の右岸に展開しています。

 

オブサン古墳はその地区の北縁の立地。車なら北端の駐車場が便利。

駐車場とは逆側の、斜面の南東側の道から。

f:id:massneko:20220129213433p:plain

 

墳丘は開口部前の前庭部が広い、独特の形状をしています。

f:id:massneko:20220129213448p:plain

 

開口部の左右に突き出てくる部分は突堤と呼ばれ、長さ6m・幅7mほどで裾の石列は当初からのもののようです。

f:id:massneko:20220129213504p:plain

 

前庭部から羨道に入る前にも、袖石のような部分があります。

f:id:massneko:20220129213527p:plain

 

前室に入って玄門を。玄室への柵には素敵な意匠が。

f:id:massneko:20220129213558p:plain

 

開口部前にあった平面図。

f:id:massneko:20220129213909p:plain

 

山鹿市のサイトによれば、チブサン古墳は6世紀後半に造られたとされ、径22m・高さ5mほどの円墳。

平安時代にも墓として、さらに江戸時代以降は「安産の神様」としての信仰の場、明治時代には西南の役の陣地にもなったとのこと。

オブサン古墳: 観光スポット [歴史・文化] - 山鹿探訪なび:山鹿市の観光ガイド

 

文化遺産オンラインには、6世紀後半に築造され7世紀前半まで追葬がされたこと、6世紀中頃のチブサン古墳に後続する首長墓であること、江戸時代以来チブサン古墳の壁画図像からくる「乳房信仰」とともに、オブサン(うぶさん=産さん)として「お産」の神様として信仰の対象となっていたことが記されていました。

チブサン・オブサン古墳 文化遺産オンライン

 

玄室に向かって右側お玄門。

f:id:massneko:20220129213732p:plain


柵の「円」の部分から玄室を良く見ることができました。

奥壁前の石屋形。

f:id:massneko:20220129213634p:plain

 

石屋形の屋根上に三角文が見えている?

f:id:massneko:20220129213653p:plain

 

石屋形の手前左右にも屍床があります。

f:id:massneko:20220129213708p:plain

 

奥壁に向かって右側。

f:id:massneko:20220129213808p:plain

 

左側。

f:id:massneko:20220129213821p:plain

 

柵の前から開口部を振り返って。

f:id:massneko:20220129213837p:plain

 

墳頂から見下ろす開口部。南南東を向いています。

f:id:massneko:20220129213947p:plain

 

振り返った北側。台地上側には西福寺古墳群などが展開します。

f:id:massneko:20220129214026p:plain

 

裾に降りて、突堤を間近から。

f:id:massneko:20220129214046p:plain

 

逆サイド。

(2021年11月訪問)

 

まりこふんさんのyoutubeチャンネル1番目、推し墳No.1とのこと。


確かにスフィンクスのよう(未探訪ですが)に思えました。