チブサン・オブサンの古墳がある肥後古代の森 山鹿地区は、江田船山古墳のある菊水地区から車で20分弱でした。
「山鹿地区」は菊水川の上流側の支流、岩野川の右岸に展開しています。
オブサン古墳はその地区の北縁の立地。車なら北端の駐車場が便利。
駐車場とは逆側の、斜面の南東側の道から。
墳丘は開口部前の前庭部が広い、独特の形状をしています。
開口部の左右に突き出てくる部分は突堤と呼ばれ、長さ6m・幅7mほどで裾の石列は当初からのもののようです。
前庭部から羨道に入る前にも、袖石のような部分があります。
前室に入って玄門を。玄室への柵には素敵な意匠が。
開口部前にあった平面図。
山鹿市のサイトによれば、チブサン古墳は6世紀後半に造られたとされ、径22m・高さ5mほどの円墳。
平安時代にも墓として、さらに江戸時代以降は「安産の神様」としての信仰の場、明治時代には西南の役の陣地にもなったとのこと。
オブサン古墳: 観光スポット [歴史・文化] - 山鹿探訪なび:山鹿市の観光ガイド
文化遺産オンラインには、6世紀後半に築造され7世紀前半まで追葬がされたこと、6世紀中頃のチブサン古墳に後続する首長墓であること、江戸時代以来チブサン古墳の壁画図像からくる「乳房信仰」とともに、オブサン(うぶさん=産さん)として「お産」の神様として信仰の対象となっていたことが記されていました。
玄室に向かって右側お玄門。
柵の「円」の部分から玄室を良く見ることができました。
奥壁前の石屋形。
石屋形の屋根上に三角文が見えている?
石屋形の手前左右にも屍床があります。
奥壁に向かって右側。
左側。
柵の前から開口部を振り返って。
墳頂から見下ろす開口部。南南東を向いています。
振り返った北側。台地上側には西福寺古墳群などが展開します。
裾に降りて、突堤を間近から。
逆サイド。
(2021年11月訪問)
まりこふんさんのyoutubeチャンネル1番目、推し墳No.1とのこと。
確かにスフィンクスのよう(未探訪ですが)に思えました。