墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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「明治の建築家 伊東忠太 オスマン帝国を行く」 ジラルデッリ青木美由紀 著

いい本に出合いました。

 

明治から昭和初期にかけて築地本願寺など数々の名建築を手掛けた建築家・建築史家の伊東忠太(1867~1954) は、1902年の3月から1905年の5月までの3年間、ユーラシアを中心とした世界一周の建築視察の旅を行っています。

当時、東京帝国大学の教授昇進には3年間の欧米留学が不文律だったところ、主任教授の辰野金吾を口説き落としての公費の旅だったそうです。

その旅の中で1904年の5月8日から1905年の1月24日まの8か月余りの長期間、トルコ(当時のオスマン帝国)を拠点として広い帝国内とその周辺の建築を訪ねていますが、著者はそのときの様子をリアルに丹念にトレースされています。

諸国を巡った時の写真やスケッチも豊富で、日露戦争時という1世紀以上前の世界を時間旅行しているような感覚を味わえました。

 

著者はイスタンブール工科大学を出られ、そこで教鞭をとっている美術史家。オスマン帝国の美術・建築史を研究している際に伊東忠太と”出会った”とのこと。

 

読み進めるうちに、著者のいう下記の論は確かにそのとおりと思うようになりました。

「法隆寺建築論」で日本建築の正統性を西洋のパラダイムを用いて証明したかった忠太は、ユーラシアから欧州に至る旅の過程で、西洋から東洋への文化の流れという拘りから脱却し、逆に東から西への経路があること、文化とはむしろ、東西のあいだの絶え間ない行き来の上に成り立つことに気づいていく。視点の転換は、紛れもなくオスマン帝国での日々に熟成されたものだ。

本書281頁

 

建築やトルコ(オスマン帝国)に、そして築地本願寺の建物に興味がある方には特におすすめだと思います。

 

↓ 一年前に撮った虹の築地本願寺。

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