築地4丁目交差点から晴海通りを勝鬨橋方向を見ると、途中で道路が少し盛り上がった箇所がある。
築地本願寺の南角のあたりに架かっていた、門跡橋の跡(東京時層地図アプリで昭和30年代前半の地図から)
今でも晴海通りの歩道脇に、親柱が残っています。
川は埋め立てられて、晴海通りの北側は駐車場に。奥は聖路加礼拝堂の塔。
位置をずらすと、築地本願寺との競演に。
親柱脇に英文併記の解説板もあります。
門跡橋の親柱
所在地:中央区築地3丁目17番8号先
門跡橋は、昭和3年(1928)6月に築地3丁目(現在の築地3・4丁目)と南小田原町1・2丁目(現在の築地6丁目)との間に架けられた築地川南支川の震災復興橋梁でした。
昭和61年(1986)から開始された築地川の埋め立て工事や道路の拡幅工事に伴って撤去されましたが、その時に花崗岩製の親柱1基が高欄の一部とともに、この場所に移築保存されました。
なお、門跡橋という名称は、江戸時代に同じく築地川南支川に架けられていた小田原橋の俗称から取ったものです。当初は「築南橋」という橋名が名付けられていましたが、昭和3年11月、西本願寺の門徒代表以下59名から、東京市長宛に「門跡橋」への名称変更に関する陳情書が提出され、門跡橋と改称された経緯があります。
この親柱は、復興事業の歴史を今日に伝える資料として重要であるとともに、震災復興橋梁がこの辺りに架けられていたことを物語る貴重な文化財です。
令和2年3月 中央区教育委員会
解説板の写真のアップ。
この説明板の写真は、アンナ・シャーマン著の「追憶の東京 異国の時を旅する」で取り上げられているものだと思います。