墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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築地界隈の建築巡り・26 カトリック築地教会 東京都中央区明石町

前回の聖ルカ礼拝堂の斜め向かいに、小ぶりだが堂々としたカトリック築地教会の建物がある。

 

この日の朝は門が開いていて、扉も開いていた(2020年12月)

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居留地中央通りに面した1対の門は、イオニア式柱頭の意匠。

上部中央に十字架が浮き彫りになっている。

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道路側にある東京都の説明板。東京で最も古い教会の一つとのこと。

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東京都選定歴史的建造物
カトリック築地教会聖堂
所在地:中央区明石町5-26
設計者:シロジアス神父、石川音次郎
建築年:昭和2年(1927)
築地一帯は、明治初期に外国人居留地に指定された。築地教会は明治7年(1874)に、パリ外国宣教会が居留地35番・36番を政府より借り受け、聖ヨゼフを守護聖人として設立したものである。明治11年(1878)から大正9年(1920)まで司教座がおかれた教会で、東京で最も古い教会の一つでもある。
明治11年(1878)に献堂された旧聖堂は、ゴシック式赤レンガ造りであったが、大正12年(1923)に関東大震災で焼失。昭和2年(1927)に、木造2階建の現聖堂が献堂された。現聖堂は、当時の東京大司教であるレイ大司教の希望によりギリシア建築パルテノン型が採用され、正面にはドリス式オーダーが立ち並ぶ。明石町一帯は空襲をまぬがれたため、教会は戦災に遭わず、壮麗な姿を今に伝えている。
東京都生活文化局 平成8年3月

 

上記の5年後に立てられた中央区による解説は、上記の内容を補完している。

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中央区民文化財
カトリック築地教会
所在地:中央区明石町5-26
カトリック築地教会は、明治4年(1871)にパリ外国宣教会のマラン神父が、鉄砲洲の稲荷橋付近の商家を借りて開いた「稲荷橋教会」がその前身とされます。明治7年(1874)、神父は宣教会の名義で築地居留地35・36番を借り受け、ここにゴシック様式の聖堂が献堂されますが、この聖堂は関東大震災で焼失し、現在の聖堂が昭和2年に再建されました。聖堂は石造りに見えますが、実は木造建築で、壁面をモルタル塗りとしています。
また、旧聖堂で仕様された鐘は、明治9年(1876)にフランスのレンヌで製作され、当時の司祭であるルマレシャル神父から「江戸のジャンヌ・ルイーズ」と名付けられたもので、現在も教会に保管されています。
教会聖堂と鐘は、かつて外国人居留地のあった明石町に残された貴重な文化財として中央区民文化財に登録されています。
平成13年3月 中央区教育委員会

 

ドリス式の列柱が並ぶファサード。

後で最初の説明板により「レイ大司教」希望のデザインであったこと、次の説明板で「木造・モルタル塗り」であることを知った。

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このときはクリスマス直前だったので、見事なリースが飾られていた。

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チラリと堂内を見ると、中にもドリス式の柱があった。

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扉前の様子。

建物は道路からかなりセットバックして建っており、正面が心地よい広場になっている。きっと園児たちもここで遊ぶのでしょう。

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広場の一画にあった鐘。

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コピーでの説明が掲示されていた。

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教会堂の南側の建物には、道路に面した壁龕にマリア像が安置されている。

歩道を歩いていたら、いきなり出会ったのでちょっと驚きました。

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慈悲溢れるお姿。いつでも参拝できます。

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