墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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月隈公園 大分県日田市丸山

日田駅の展示を見た後は、お昼を食べに月隈公園の近くへ。

特別サイトを見て、おいしそうなオムレツ料理を選択。

スローカフェ(SLOWcafe) | 進撃の巨人 in HITA

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驚く程フワフワのオムレツでした。(その秘訣は火力だそうです) 

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お店の向かいが公園でした(広い無料駐車場あり)

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石垣の中へ入った先に城跡が。時間の関係で下からのみで。

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斜面の穴はもしかして…

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やはり横穴式古墳でした。

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月隈公園
日田三丘の一つ、慶長の昔(1601)豊臣秀吉の家来、日田郡令小川壱岐守が城を築いて丸山城と名づけ、石川総輔のとき永山城と名を改めました。貞享3年 (1686)からは、日田郡代が岡の南側に永山布政所をおいて九州各地にある幕領や九州各藩の目付としてその威勢を天下にしめしたところです。岡の正面山腹に散在する横穴は、千数百年前の豪族の古墳だと伝えられています。
日田市 

 

結構な数です。 

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入りやすそうな一基。

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縦に長い穴を入ると左に部屋が。

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部屋と思ったら通路になっていました。

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奥壁を背にして。

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広場の縁、石垣沿いには満開の桜が。

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石垣の外側から。

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ちなみに月隈公園の西隣には、諌山創(いさやまはじめ)氏が通った日田林工高校がありました。

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駐車場にあった「豆田の町並み」の解説。

今回は街を歩く時間がなかったのですが、いつか再訪したいと思います。

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豆田の町並み
重要伝統的建造物群保存地区
~日田市豆田町伝統的建造物群保存地区の概要~
天領時代に町人地として発展した豆田町とその周辺は、往時の地割をよく残し、伝統的な建物が群として良好に残っていることから、約10.7haの範囲が平成16年12月10日に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
南北2本の通りと束西5本の通りからなる整然とした町割や、街区の敷地割は、江戸初期の城下町建設時の形状を引き継ぐものです。豆田町では明和9年(1772)や 明治13年(1880)、明治20年(1887)に大火があり、火災を契機に、茅葺の町家が居蔵造(いぐらづくり:瓦を葺いて木部を土で塗り込める造り)へと変わっていきました。江戸期から 大正期に建てられた居蔵造の町家を中心に、木部を見せる真壁造の町家、近代の洋館、醸造藏、昭和初期の三階建家屋等が並び、町ごとに特徴ある歴史的景観を残しています。
保存地区北部の長福寺本堂と、大規模商家建築であ 南部の草野家住宅は、国の重要文化財に指定されています。