墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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古市・金谷白壁の町並み 山口県柳井市柳井津

柳井茶臼塚古墳からよく見えていた柳井市街。

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その一画に「白壁の町並み 」という気になるポイントがあったので行ってみた。古墳から2㎞ほど西。

 

柳井川のそば、200mほどの通りが江戸時代の面影を残していた。

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通りの入口の地図。

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解説板もあった。

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柳井市古市金屋伝統的建造物保存地区
選定日:昭和59年12月10日
面積:1.78ha
柳井津は瀬戸内海の舟運を利した市場町として形成されました。この町が中世に栄えていたことは、慶長6年(1601)吉川広家が岩国の城下町建設に際して、柳井の有力商人を移住させて、柳井町を設けたことによってもわかります。
柳井津町の敷地割は、他の町と同様、間口は狭く奥行が深く、敷地境には石積の水路が北から南へ設置され、道路を横断して直接柳井川へ排水されています。
保存地区は、柳井津でもっとも早くから開かれた旧町の西半分にあたる古市金谷地区で、東西方向に通じる本町通の両側約200mの町並みを、ほぼ中央部から南側の柳井川に通じる掛屋小路の家並みです。
本町通に面して立つ町屋は、妻入・本瓦葺二階建て・漆喰塗の大壁造りを基本とし、平入の建物も混じりますが、前面の庇の軒線はそろxい町並みに統一感を与えています。また二階壁面に開く窓は、建ちの高い建物正面が調査のとれた意匠となり、漆喰壁の白壁に深い陰影をつけて、大壁造りの重厚な町屋をひきたてています。
この保存地区は、中世の商業都市の地割を伝えるだけでなく、近世後半に建築された本瓦葺・白い大壁造りの町屋群は、意匠的にすぐれて保存状態もおく、わが国にとって価値が高いものです。(文部省選定説明より抜粋)
柳井市白壁の町並みを守る会 

 

朝早いので人通りは少なく。

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重文の建物もある。

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北への枝道。

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その先の右にある佐川醤油蔵。

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左の酒蔵(やない西蔵)との間の道が、いい雰囲気だった。

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元の通り側の角。

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メインストリートでも、蟹が道を渡る。

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建物の間の小川。蟹が棲息か。

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そのすぐ先で左の枝道に入る。

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小路入口にあった解説板。 

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掛屋小路
この道は、街筋に掛屋という金融業を営んだ商家があったことから、その屋号をとって掛屋小路と名付けられました。
柳井川にかかる緑橋の石段のところで、荷揚げした商品を運んだ道でもあります。

古い町割の排水溝
古い柳井町の中心部の古市、金屋の町割は中世に造られたものです。
それが今日まで続いており、商都柳井の基礎を作りました。
道路の下を柳井川に向けて流れる排水路が、そのままの姿で残っているのは、全国でもまれだといわれています。

 

微妙なカーブが心地よく。

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が、すぐに柳井川に出てしまった。

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来た道を戻る。白と黒のコントラストが美しかった。

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戻るときに自転車隊(登校する中学生)に遭遇。

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