墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

柳井茶臼山古墳(後編) 山口県柳井市柳井

裾から階段を上がって、前方部墳頂へ。 

f:id:massneko:20200913141647p:plain

 

振り返った南側には中国電力柳井発電所。その奥には今は地続きの大星山。 

f:id:massneko:20200913141718p:plain

 

西方向の柳井市街。 まだ朝の7時前。

f:id:massneko:20200913141748p:plain

 

くびれ部のあたりから見上げる後円部。

f:id:massneko:20200913141816p:plain

 

一段上がって振り返る。

f:id:massneko:20200913142440p:plain

 

左下には造り出しがあった。

f:id:massneko:20200913142348p:plain

 

降りたところにあった、造り出しの説明板。 

f:id:massneko:20200913143143p:plain

Q:舞台のような場所は何かな?
A:造出(つくりだし)とよばれ、亡くなった王の葬儀を行ったところだといわれています。
他の場所と異なり、板状の安山岩が使われ、特別の場所であったことがうかがわれます。
安山岩は、この地方では室津半島に分布し、船を使って運んできました。

 

後円部墳頂はさまざまな埴輪(レプリカ)で大賑わい。

f:id:massneko:20200913142523p:plain

 

埋葬施設の説明板。

f:id:massneko:20200913142547p:plain

Q:亡くなった王はどこに埋められたの?
A:古墳で一番高いこの場所の下に王は眠っていました。王の遺体を納める埋葬施設は、古墳で最も重要なところです。
茶臼山古墳では、二つの埋葬施設が築かれていますが、その場所は、ほぼ平行に東西に並んでいます。
このことから、あらかじめ二人を埋葬するように造られたことがわかります。

 

 埋葬施設の上に家形埴輪が並ぶ。 

f:id:massneko:20200913142641p:plain

 

パノラマで。 

f:id:massneko:20200913142719p:plain

 

円筒埴輪の上に蓋形埴輪が載る。

f:id:massneko:20200913142757p:plain

 

埴輪列があるとゴージャス感が高まる。(この時代であれば、荘厳さを出すにはこの手法が一番だったのではと実感できるようになってきました) 

f:id:massneko:20200913142839p:plain

 

後円部からの柳井市街。何度見ても素晴らしかった。

f:id:massneko:20200913142924p:plain

 

後円部の先端側。

f:id:massneko:20200913143007p:plain

 

そこから右を見ると資料館。月曜で休館日だが、そもそも開いていない時間だった。

f:id:massneko:20200913143036p:plain

 

下へ降りて、墳丘(右)と資料館(左)とを。

f:id:massneko:20200913143532p:plain

 

上記の中央の凹みは古墳築造時に人為的に掘り下げたものだった。

f:id:massneko:20200913143213p:plain

Q:丘尾切断部って何のこと?
A:現在茶臼山古墳資料館の建っている所と古墳とはもともと尾根でつながっていました。
古代人は、古墳を造るときに、この尾根を深く掘り込むことで、古墳が高く見えるよう工夫をしています。
少しの労力で大きな効果を得るための古代人の知恵です。 

 

資料館の屋上に上ることはできた。

f:id:massneko:20200913143423p:plain

 

パノラマで。

f:id:massneko:20200913143348p:plain

 

後円部斜面と市街地とを。 

f:id:massneko:20200913143452p:plain

 

墳丘はグーグルアースで面白いほどはっきりわかる。