墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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柳井茶臼山古墳(後編) 山口県柳井市柳井

裾から階段を上がって、前方部墳頂へ。 

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振り返った南側には中国電力柳井発電所。その奥には今は地続きの大星山。 

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西方向の柳井市街。 まだ朝の7時前。

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くびれ部のあたりから見上げる後円部。

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一段上がって振り返る。

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左下には造り出しがあった。

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降りたところにあった、造り出しの説明板。 

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Q:舞台のような場所は何かな?
A:造出(つくりだし)とよばれ、亡くなった王の葬儀を行ったところだといわれています。
他の場所と異なり、板状の安山岩が使われ、特別の場所であったことがうかがわれます。
安山岩は、この地方では室津半島に分布し、船を使って運んできました。

 

後円部墳頂はさまざまな埴輪(レプリカ)で大賑わい。

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埋葬施設の説明板。

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Q:亡くなった王はどこに埋められたの?
A:古墳で一番高いこの場所の下に王は眠っていました。王の遺体を納める埋葬施設は、古墳で最も重要なところです。
茶臼山古墳では、二つの埋葬施設が築かれていますが、その場所は、ほぼ平行に東西に並んでいます。
このことから、あらかじめ二人を埋葬するように造られたことがわかります。

 

 埋葬施設の上に家形埴輪が並ぶ。 

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パノラマで。 

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円筒埴輪の上に蓋形埴輪が載る。

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埴輪列があるとゴージャス感が高まる。(この時代であれば、荘厳さを出すにはこの手法が一番だったのではと実感できるようになってきました) 

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後円部からの柳井市街。何度見ても素晴らしかった。

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後円部の先端側。

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そこから右を見ると資料館。月曜で休館日だが、そもそも開いていない時間だった。

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下へ降りて、墳丘(右)と資料館(左)とを。

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上記の中央の凹みは古墳築造時に人為的に掘り下げたものだった。

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Q:丘尾切断部って何のこと?
A:現在茶臼山古墳資料館の建っている所と古墳とはもともと尾根でつながっていました。
古代人は、古墳を造るときに、この尾根を深く掘り込むことで、古墳が高く見えるよう工夫をしています。
少しの労力で大きな効果を得るための古代人の知恵です。 

 

資料館の屋上に上ることはできた。

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パノラマで。

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後円部斜面と市街地とを。 

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墳丘はグーグルアースで面白いほどはっきりわかる。