12月の初旬、埼玉県の国営武蔵丘陵森林公園の近辺に所在する古墳を巡った。久しぶりに自宅から自分の車を利用。(1月に霞ケ浦周辺の古墳を訪ねて以来)
最初に訪ねたのは嵐山町の天神山古墳群。
古墳の東側にある淡洲神社に停めさせていただいて斜面を上る。
道路脇に文字が大きく刻まれた庚申塔。
庚申塔の後ろ側の坂を折り返すように登る。
霜が残る日陰。時刻は朝8時くらい。
ここから右へ、畑の脇道をさらに登った。
目線の先に説明板が!
中央右寄りに2号墳。左にも円墳が見えている。
2号墳には、しっかりまもられた説明板があった。
嵐山町指定史跡 天神山古墳群
指定 昭和60年12月1日
所在 嵐山町大字勝田字菅原台
時代 古墳時代後期
現在10基の墳丘が遺存する。うち、径15m前後の円墳3基を除くと、他はいずれも5m内外の小型の墳丘である。
この古墳群の主墳とされる2号墳は、径15m、高さ3mで、南方に主体部石室が開口している。羨道部入口から奥壁までの全長は3.8mに及び、凝灰岩の切り石を使用した石室は、胴張りのある整美な構造を呈している。
遺物はすでに消失しているが、恐らくは古墳時代後期の築造と推定される。
昭和62年3月 嵐山町教育委員会
2号墳の開口部。
開口部の前に立って。
しゃがんだ位置から。
玄門は四つん這いにならないと通れない。
玄室奥壁は精緻な切り石積みだった。
側壁も。素晴らしい!
向かいの側壁も。
城下町の道筋のように入り組んだ切り口。表面の仕上げも、現代建築のよう。
かなりの技巧の高さでは。
奥壁を背にして開口部を。
玄門上の「まぐさ石」
隅がぴったり収まっている。
四つん這いで撮った、外の景色。
こちらが1号墳。
振り返っての2号墳。
2号墳の背後の林。下草が刈られて、しっかり「守られて」いる。
その奥にあった3号墳。
その右に小さな高まり。
そこから振り返って。右が3号墳、中央左に2号墳。左に小さな高まりが連続していた。
背後の1基から数基が一列に。
2号墳と半月。
2号墳の前から南側。
斜面を下って淡洲神社へ戻った。
実はこの道を2往復。
初回はカメラにSDカードを入れ忘れたままでいて気付かなかった。RX-100 ではカードが無いと「NO CARD」の表示がモニター画面左上に出るが、字が小さいので気付かない時がある。同じ過ちを2度目。
ということで、石室には2度入りました。