墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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牛田古墳群(川除屋敷裏遺跡)現地説明会 群馬県藤岡市

今回の墳行のメインイベントは発掘現場の現地説明会。

事前の抽選に運良く残り、13時からの会に参加できました。

 

牛田古墳群を含む川除屋敷裏(かわよけやしきうら)遺跡は、群馬県と埼玉県の県境を流れる神流川(かんながわ)左岸(西側)の低地にあります。

 

下記写真は川のある方向(500m東)を背にして藤岡台地のある西側を向いて撮っています。奥の緑の帯が台地の端にあたり、台地上面から5mほど下がった場所に展開。

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ブルーシートの海に浮かぶ島のように、右の白いテント屋根の左手前に1号墳、左にパイロンの並ぶ2号墳、その左奥にぎりぎり写っている3号墳、2号墳のすぐ後ろに4号墳が見えています。(掘った土を寄せた山と見分けがつきにくいですが…)

 

いただいたパンフによれば、藤岡市には古墳が約1500基もありますが、ほとんどが藤岡台地上に築かれていて、このような河川沿いの低地の例は稀とのこと。

藤岡市教育委員会は平成30年度から当地区の発掘調査を進めていますが、近くには8世紀前半の創建とされる牛田廃寺跡が見つかっており、当古墳群はその寺の発願者と何らかの関わりがある可能性が非常に高いと考えられるそうです。

調査では古代の道路状遺構や200軒超の竪穴住居跡も見つかっています。

 

いよいよ見学会のスタート。

まずは石室の壁が美しく残る2号墳から。

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左が入口側、右が奥壁になります。

大小の石を巧みに組み合わせて飛び石状に見せる積み方は「模様積み」と呼ばれるもので、日本では藤岡市とその周辺の地域でしか見られないという貴重なタイプ。

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奥壁にはやや大きめの石が、やはり模様積みで。

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左側、大きな石が縦に並ぶ場所が玄室入口の袖部になります。

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開口部側から。2号墳は直径12mほどの円墳です。

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二重に巡る裾の列石は、内側のものは「墳丘内石列」であったと、あんけんさんのブログで知りました。

牛田古墳群発掘調査現地説明会(後編) | 趣味の案件

牛田古墳群発掘調査現地説明会(前編) | 趣味の案件

 

右からの袖部が大きく突き出しています。

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ちなみに4つの古墳はすべて盗掘にあっていましたが、2号墳石室の上側から出土した、盗掘者が廃棄していったと思われる直刀2本が展示されていました。

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2号墳では発掘時には天井石も一部石室内に残ってたそうですが、見学会の際には除けられていました。脇に積まれていた石がそれだったのかも知れません。

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次に3号墳へ移動。

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石の残りがあまりよくないですが石の積み方がよくわかる遺構でした。小さいほうの石も長細い形をしていて小口を室内側に向けています。

そうすることによって、壁面では細かい模様のように見えながらも、崩れにくい構造となっています。

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石には加工の跡はなく、河原からそのような形をものを選んで集めたものとのこと。

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4号墳も、模様積みをよく残していました。

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開口部側から。

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奥壁は少し違う意匠に。下部に3つ大き目の石を並べ、上部には板石を嵌め込んでいました。

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側壁は内側に傾いています。 

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それでも美しい模様積みが確認できました。

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レアかつ美しい石積みですが、非常に複雑で移築は困難であるとのこと。当地は発掘調査終了後は道路として整備されるとのことで、胸が痛みました。

 

4号墳からは人の歯が出ています。3号墳からも直刀が。2号墳からは耳環も。

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4号墳の石室背面側での解説。堤状に掘り残した場所で。

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上記の「堤」を横から見たところ。元の墳丘が下層に階段状に残り、その上に火山灰が堆積している。天明期の浅間山噴火のものなので、当時から墳丘はこの位置まで削られており、そこに火山灰を、おそらくは周囲の農地に積もったものも寄せ集めた痕跡のようでした。

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4号墳の天井石の一部。

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最後に説明を受けたのが、他の3基より少し高い位置にあり、かつ一回り大きな(直径約17m) 1号墳。当古墳群の盟主墳だったようです。

右奥が石室と羨道部でその前に扇状に前庭部があります。

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前庭部の敷石も残ります。

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奥壁をズームして。ちょっと乱れた感じであるのは、積みなおされた形跡のようです。

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右上が羨道部、手前が玄室側で、横に並ぶ長方形の石が2室を隔てる框石。

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玄室を横から。左が奥壁、右が開口部側。

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左の大きな石の左下で、棒状の鉄製品が手前側に飛び出ています。

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円墳の裾の部分。1号墳はすっかり削平されていて、発掘される前は古墳跡だとわからなかったようです。

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周溝からは墳丘から落ちた葺石が見つかっていますが、その上に12世紀初めの火山灰層があったとのこと。1号墳も早くから崩れ始めていたようです。

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1号墳を少し引いた位置から。人が立っている場所になります。

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4基とも埴輪をは伴っておらず、古墳時代終末期の7世紀の造営とみられるとのこと。
ちなみに5基目の古墳跡も発掘調査エリアの南端で見つかっているとのことでしたが、見学会時はブルーシートの下となっていました。

 

美しい模様積みを間近でじっくり拝見させていただきました。

このような機会を設けていただいた皆様に感謝申し上げます。

 

また同時刻の説明会で、古墳ブロガーとして精力的に活動されているぺんさんと再会。数年前に別の現説で、あんけんさんに紹介された時以来でしたが、おそるおそる名前を伺ってご当人だとわかりました。

川除屋敷裏遺跡1号墳【群馬県藤岡市】 - ぺんの古墳探訪記

川除屋敷裏遺跡2号墳【群馬県藤岡市】 - ぺんの古墳探訪記

川除屋敷裏遺跡3号墳-5号墳(仮)【群馬県藤岡市】 - ぺんの古墳探訪記

川除屋敷裏遺跡4号墳【群馬県藤岡市】 - ぺんの古墳探訪記

 

この後いくつかの古墳探訪におつきあいいただきました。