前回の山名古墳群の続き。
墳丘が群集するエリアの北側では、覆い屋に守られて、石室が露出していた。
山名古墳群の現地説明板によれば、山名原口Ⅱ-2号古墳。
柵の中の解説板。
山名原口Ⅱ号古墳
本古墳は、平成元年度の発掘調査により発見されたものです。
直径約16.5mの円墳で、両袖型の横穴式石室をと伴っています。
石室内からは、金銅製耳環、金銅製鈴、水晶製切子玉、瑪瑙製勾玉、碧玉製管玉、ガラス製小玉といった装飾品や、鍔、柄頭、鉄鏃、小札、クツワなど、武具や馬具も多数発見されています。
なお、本古墳の築造年代は、7世紀初めから中頃のものと思われます。
高崎市教育委員会
堂々とした開口部。これが平成時代まで発見されずにいたとは。
羨道と玄室とを分ける石列が見えます。
床石がオリジナルの位置だとすると、高さは1mもないのでは。
側面から。全長は8mぐらいでしょうか。
右が開口部、中央に楣石が載っています。
玄室の側壁は、なんと模様積み。美しいです。
模様積みの”芸術品”、藤岡市の伊勢塚古墳は、ここから鏑川を隔てた南にありますが距離は1㎞も離れていません。
(画像はgoogle photo連携なのでPCでしか見られません…)
山名原口Ⅱ-2号古墳を奥壁側から。
見ごたえのある石室でした。
前出のマップにあった、山名原口Ⅱ-1号古墳の近くへも寄ってみました。
高崎市のサイトによれば、この古墳は直径約23mの円墳で、周囲に幅3.2m・深さ0.5mの堀を持ち、堀の中から歯を持つ埴輪~石英質の小石を歯のように嵌め込んだ、盾持ち人埴輪の顔部分が出土したとのこと。下記に画像があります。
背後には山名古墳群が見えていました。