墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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多胡碑・多胡碑記念館(上野三碑) 群馬県高崎市吉井町池

多胡碑は吉井石碑の里公園内にあり、多胡碑記念館を擁する。

20台ほど停められる駐車場の脇の林が見事に紅葉していた。

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その林の中に、多胡碑を納めた覆い屋がある。

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ここも窓から覗いて見学。

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山上碑や金井沢碑と比べて一字一字が大きく、石碑の高さも20㎝近く上回る。

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記念館内にあった拓本(の複製)

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現地の説明板。多胡碑は日本三碑にも数えられる。

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特別史跡 多胡碑
多胡碑は、栃木県にある那須国造碑、宮城県にある多賀城碑とともに日本三碑と呼ばれている古代の石碑である。また高崎市の山ノ上碑、金井沢碑とともに上野(こうずけ)三碑とも呼ばれる。
碑の高さは129㎝で、吉井町南部に産出する硬質の牛伏砂岩(通称多胡石)で造られている。
その書体は楷書体で中国の六朝風を遺すいわれており、古くより多くの書家に愛好され、6行80字の文字の彫りも味わいあるものとして評価されている。
土地の人は多胡碑を「ひつじさま」と呼び信仰の対象としてまつり、今日まで守ってきた。また、文面に見える「羊」にちなんだ「羊大夫」の伝説は古くから語り継がれて親しまれている。
(中略)
右の碑文は、和銅4年(711)の多胡郡の設置について述べたもので、ほぼ同様の内容の記事が正史の「続日本紀」和銅4年3月6日の条にも見えている。
「続日本紀」の記事によって碑文を補うと、分割された各郡の里(郷)名がそれぞれ片岡郡山部(山名)・緑野郡武美・甘良(甘楽)郡織裳(折茂)・韓級(辛科)・矢田・大家であることがわかる。碑文は字数などの制約があり、「給羊」のように解釈のむずかしい語句もある。
多胡碑は当時のこの地域のありさまを今日に伝える、全国的にも稀な石碑である。
昭和29年3月20日指定 平成12年3月9日設置
文部省 群馬県教育委員会 高崎市教育委員会 

 

「羊」については、建郡に際して「羊」という人物を郡司に起用したと理解するのが主流だが、方位や、別の字の略字とみなす学説もあるそうだ。

 

”タゴピー”による文面解説。 

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左下部分のアップ。筆で書いたように彫られているところがすごいです。

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覆い屋を背面側から。

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その北側にある記念館。

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入館は無料。登録3周年を記念する「金井沢碑の遺産~古代豪族と仏教~」展が開催されていました。

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上野三碑はユネスコの「世界の記憶」に、平成29年(2017)に登録されています。

群馬県 - 上野三碑(こうずけさんぴ)がユネスコ「世界の記憶」に登録されました!


常設展では三碑の原寸レプリカが展示されていました。

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多賀城碑(左)や、那須国造碑(右)も。 

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