上野三碑のなかで最後に立てられた金井沢碑(かないざわひ)は、丘陵の北東側から500mほど山の中に入った場所にあった。
三碑めぐりのバス停には六角屋根のあずまやが。
振り返ったところは駐車場。根小屋駅までは徒歩9分。
たどってきた道では山の中の雰囲気だったが、グーグルアースで見るとすぐ北側では宅地開発がかなり進んでいることがわかる。
あずまやから100mほど園路を進むと覆い屋の下に出る。
この碑もガラス越しに見学。
上野国の文字につづいて、「君」「羊」「馬」「郡」と刻まれる。
この碑にも詳細な解説板があった。
特別史跡 金井沢碑
(中略)
解説
金井沢碑は輝石安山岩製の自然石碑(高さ110㎝)で、112文字が刻まれた日本有数の古碑である。古代豪族三家氏(みやけじ)が奈良時代初期(神亀3年・726年)に先祖供養のため造立した。本碑の南西1.5㎞にある特別史跡山上碑(681年建立)には、当地に「佐野三家(さのみやけ)」(ヤマト政権の地方支配拠点)が存在したことが記されるが、三家氏はその経営者の末裔とみられる。
本碑の冒頭には「上野国群馬郡下賛郷高田里」とあり、願主の居宅は現高崎市下佐野辺りにあったようだが、碑は烏川対岸に所在し、佐野三家の領域や三家氏の勢力圏は、広く烏川両岸に及んだらしい。碑文からは、願主で家長の三家子□およびその妻ー子ー孫からなる6人の直系血族(うち女性4人)と、同族男性3人からなる既存の信仰グループが結びつき、これを立碑したことがわかる(勝浦令子説)
同時に大宝律令(701年)以後定まった行政制度(国郡郷里制)の施行が確認できるほか、郡郷名の好字2字への改正令(和銅6年・713年)の実施も確かめられる。以前は「上毛野国」・「車郡」であったのが、ここでは「上野国」・「群馬郡」と記されているからである。なお、本碑の「□(君の下に羊)馬」の文字は、在地最古の「群馬」の用例となる。また、三家・他田・物部・磯部といった氏族が存在し、婚姻や仏教儀礼で結びついていたこと、女性の社会的地位のあり方、鉄器生産に従事した鍛師の存在など産業構造も本碑から知ることができる。
このように本碑は、古代東国の家族関係・氏族関係・仏教の浸透と仏教教団の成長、地方行政制度の実態などを知るうえできわめて重要な史料である。隣接する特別史跡山上碑・同多胡碑とともに日本を代表する古代金石文として特筆される文化財といえる。
平成23年2月28日設置 高崎市教育委員会
”カナピー”によるわかりやすい解説も。
施設の前からの眺め。
古墳が無いのは残念。