墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

旧井上房一郎邸 群馬県高崎市八島町

10月23日の土曜日は高崎へ、古墳ではなく建築見学。

アントニン・レーモンド(1888~1976)が手掛けた2つの建築を巡りました。

 

レーモンドは、オーストリアハンガリー帝国(現チェコ)生まれの建築家で、プラハ工科大学で建築を学んだ後にアメリカへ移住、フランク・ロイド・ライトの事務所に入て帝国ホテル建設の際にライトと共に来日。1922年に日本で事務所を開設して東京女子大学(1921)や聖路加国際病院(1928)などを設計しますが、その事務所では前川國男、吉村順三、ジョージ・ナカシマなどが働いています。

太平洋戦争前に渡米して戦後に再来日。リーダーズダイジェスト東京支社(1951:現存せず)や麻布笄町の自邸(1951:現存せず)、群馬音楽センター(1961)をはじめ多くの名建築を残しました。(Wikipediaより)

 

その麻布笄町の自邸兼事務所を、高崎の実業家・井上房一郎がレーモンドの許可のもとで当時に再現した建物が、旧井上房一郎邸です。

 

高崎駅コンコースには上野三碑のレプリカがありました。

f:id:massneko:20211103105020p:plain

ちなみに三碑を巡ったのは1年前。

山上古墳・山上碑(上野三碑) 群馬県高崎市山名町山神谷 - 墳丘からの眺め

金井沢碑(上野三碑) 群馬県高崎市山名町 - 墳丘からの眺め

多胡碑・多胡碑記念館(上野三碑) 群馬県高崎市吉井町池 - 墳丘からの眺め

 

今回は東京アクセスポイント主催の建築見学ツアーに参加。メインは群馬音楽堂でのコンサート鑑賞でしたが、午前の部で旧井上房一郎邸を見学。

 

その邸宅は現在高崎市美術館の敷地内にあります。見学には事前予約と美術館への入館が必要です。

外壁に解説プレートがありました。

f:id:massneko:20211103110811p:plain

高崎市景観重要建造物 指定第1号
旧井上房一郎邸
平成22年2月1日指定
この建物は、井上房一郎が1952年、建築家アントニン・レーモンドの麻布笄町の自邸をほぼ同じものを、同氏の同意を得て高崎の地に建てたものです。
丸太を柱や鋏状トラスで有効に使い天井は張らないなど、戦後のレーモンドスタイルの住宅の特徴を顕著に表す建物と、井上房一郎の作庭による鬱蒼とした樹林が一つになって独特の情景を伝え、高崎市重要建造物に指定されています。

 

ツアーで予約されていたので、開館とともに展示室を通り抜けて建物へ。

東側から見ると片流れ屋根の長細い建物です。

f:id:massneko:20211103105206p:plain

 

南側の庭の小道。ここは高崎駅南口からたった200m。

f:id:massneko:20211103110545p:plain

 

その小道から見た建物南正面。

f:id:massneko:20211103110614p:plain

 

屋根に雨樋がないので、軒下に雨受けの溝があります。建物の保存にはこのような部分の保全に費用がかかるとも聞きました。

f:id:massneko:20211103105237p:plain

 

広い室内は装飾性は少ないですが、合理性が滲み出しているようでした。

f:id:massneko:20211103105353p:plain

 

天井が張られておらず、梁の丸太がよく見えます。白いダクトは元からあったもので暖房用。

f:id:massneko:20211103105444p:plain

 

中央部分に玄関があります(ベンチの後ろ)

f:id:massneko:20211103110157p:plain

 

そのベンチの上は今がガラス屋根ですが、元は吹き抜けだったそう。

f:id:massneko:20211103105328p:plain

 

居間に入って見上げた梁。北側に明かり取りの高窓があります。

f:id:massneko:20211103105545p:plain

 

それほど太くない材をアーチ状に組み合わせて、室内に柱のない広い空間を生み出しています。

f:id:massneko:20211103105700p:plain

 

端の柱とはボルトとナットで留められています。

f:id:massneko:20211103105737p:plain

 

使いやすそうな作り付けの棚。

f:id:massneko:20211103110058p:plain


こちらの家具はアントニンの妻、ノエミによるデザイン、そのオリジナル。

f:id:massneko:20211103105840p:plain

 

鉄製の暖炉には、当時は高度だった溶接・加工技術が使われているそう。

f:id:massneko:20211103110018p:plain

 

井上房一郎氏は地元高崎の名士でした。

高崎観音の建立に力を尽くした井上工業社長・井上保三郎の長男で、早稲田大学在学中に山本鼎・北原白秋・片上伸らの知遇を得て自由画運動等の文化活動に没頭てし、大学を中退。1920年代に高崎の民芸品を販売する店を西銀座で始め、その店に通っていた建築家のアントニン・レーモンドと親友になったそうです。

1923年にパリに留学して絵画や彫刻を学び帰国後に井上工業に入社。1934年に来日したブルーノ・タウトに会い、高崎に彼を招いて工芸品のデザインを委嘱したとのこと。

戦後に、戦時中に活動していた音楽挺身隊や疎開していた音楽家を集めて高崎市民オーケストラ(現在の群馬交響楽団)を設立しています。

この自邸の経緯は昭和27年(1952)に火事で家を失った際に「笄町の自邸」をレーモンドの快諾を得たうえで再現。図面の提供を受け、井上工業の職員が建物を実測して、同年ここに新たに建てられたそうです。(Wikipediaより)

 

玄関を挟んで西側にある居間。

f:id:massneko:20211103110223p:plain

 

2つ並ぶソファは2台のベッドにもなります。

f:id:massneko:20211103110236p:plain

 

その先の和室。

f:id:massneko:20211103110333p:plain

 

建物西端から。和室から西にはキッチンや風呂の部屋が続いていました。

f:id:massneko:20211103110353p:plain


見事な石畳を踏みながら建物北側へ回ります。

f:id:massneko:20211103110420p:plain


北側から。高窓があるのは東寄りの大部屋だけでした。中央は北側からも入れる玄関。

f:id:massneko:20211103110449p:plain

 

見学後に美術館の外に出て、敷地の南側壁を。

f:id:massneko:20211103110752p:plain