墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

回天碑、阿多田交流館(外観) 阿多田古墳(遠望) 山口県熊毛郡平生町大字佐賀

神花山古墳の見学用駐車場の一画には「回天碑」があった。 

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ここにも回天の訓練基地があり、ここでは8名が殉職していた。

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特別攻撃隊 人間魚雷「回天碑」
昭和20年(1945)桜の蕾がふくらむ3月から、ここ阿多田の先端部に「回天」の出撃、訓練基地が開設されました。基地では18歳にも満たない下士官や20歳代前半の青年士官たちが、国を護るため一身をなげうち、日夜猛訓練に明け暮れていました。
「回天」という言葉は「衰え行く国の勢いを元にかえす」という意味があるそうです。この特攻兵器「回天」(全長14.75m、直径1m、速力30ノット時速換算55.56㎞)は「人間魚雷」とも呼ばれ、当時、世界に誇った93式魚雷を基に考案されたものです。先端部に炸薬(1.55トン)を充填し、中央部の搭乗員席には一人の隊員が登場して、回天を操縦しながら敵の艦船に体当たりするという、必死の兵器でした。
訓練は、初期段階は平生湾の往復でしたが、その後、雑石瀬戸(ぞうしのせと)を出て牛島・馬島・叶島を三角点とする海面で行われました。航行している船舶に対する襲撃訓練や、早朝あるいは薄暮に、主に潜航を主体とし、ときおり浮上して視認観測をしながら目標艦に突入するという厳しい訓練であったといわれています。
昭和20年7月18日、この平生基地から、伊号第58潜水艦に回天6基が搭載され出撃、沖縄海域で5名の若者が突入し散華されました。その他、猛訓練中に3名の隊員が殉職、終戦直後に1名が自決されました。
こうして昭和20年8月、将来を嘱望された若者の尊い命を奪った悲惨な戦争は終わり、やがて日本は奇跡的にも国勢を回復し、平和を享受してきました。これはみな先人達の尊い犠牲の賜であり、ここに改めて感謝の誠を捧げつつ、人生最後の地となったここ阿多田の地より心からご冥福を祈念するものです。
昭和34年7月、この地に平和の大切さを後世に語り継ぐために碑が建立されました。この回天碑は、松庫海事(株)の当時の谷光司工場長により会社の敷地内に建立され、その後松庫工業(株)・平生興業(株)関係者にて大切に管理されてきました。今回平生港湾改修事業の為、移設を余儀なくされ、平成16年11月、「平成回天会」の寄付並びに関係者のご協力によってここに修復移設されたものです。
なお、当時は「回天」基地に隣接して特殊潜航艇「蛟龍(こうりゅう)」「海龍」の教育機関もあり、阿多田半島には、いわゆる水中特別攻撃隊の訓練基地がおかれていました・
平成16年11月吉日 平生町観光協会平生町 

 

少し北、県道近くには阿多田交流館 (平生回天基地資料展示))もあった(この日は休館日)

阿多田交流館/平生町ホームページ

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ここにも実物大レプリカ。

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後方から。 

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前方から。 

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回天基地跡は周南市大津島に大規模な形で残っているようだ。記念館もあるので機会を見て訪ねたい。

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人間魚雷「回天一型」
ここに展示してある回天一型は、実物大の複製です。太平洋戦争の終わり頃、人間が大型の魚雷に乗り込み操縦して、目標艦船に体当たりする「必死の兵器」が作られました。これが「回天」です。この回天の先端には大量の爆薬を積み込んでいました。「回天」には「天を回らし、戦いを好転させる」という意味が込められていました。戦争の悲惨さを感じ取ることができます。回天訓練基地は、平生町のほかに、周南市大津島・光市と大分県日出町大神にありました。ここ平生回天訓練基地では、出撃や激しい訓練などにより、9人の若い隊員の命が失われました。 

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阿多田交流館の北側の湾。

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湾の東側は田布施川河口の港湾工業地域。 

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北側。旧麻里府村。馬島、佐合島への渡船場がある。

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西側、平生湾の出口方向。左奥の小山の頂上に阿多田古墳があるが、グーグルマップのコメントに「民間地と国有地で行けないらしい」とあったので諦めた。

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グーグルマップでルートを探すと対岸から泳げ、と。 

 

柳井茶臼山古墳の前方部裾にあった阿多田古墳の解説。

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(ちなみに上記の写真右上の小山頂上が神花山古墳だと思われる)