別府市の古墳を見た後は、大分空港への帰りがてらに2つの古墳に立ち寄った。
どちらも別府湾の入口北側の丘上に立地する。
グーグルマップの指示に従って御塔山古墳のピンへ向かって丘を登っていくと、車を停められる草原に出た。
上がってきた道を振り返ると別府湾。
草原の脇に説明板があった。
国指定史跡 御塔山古墳について
(平成29年2月9日に国の史跡に指定されました)
基本データ
古墳の形:造出付円墳(つくりだしつきえんぷん:造出が付く円墳、段築すくなくとも3段)
古墳の大きさ:径75.5m、方形の造出を含めると80.5mほど。周辺の濠を含めると長さ90mほど。
外表:葺石と埴輪がある。
特徴:円墳としては国内準最大級。並べてある形象埴輪は九州では珍しい。
出土品の解説も。
●御塔山古墳出土品
左上写真
出土した家形埴輪
出土した囲形埴輪
(神聖はお祭りをする家の周りをおおった堀などを模した囲形埴輪やその家の中で神聖な水を確保した木樋は当時の政治の中心である近畿周辺でしか出土しません。囲形埴輪は九州では4例のみです)左下写真
出土した木樋形埴輪(土製品)
(神聖な水をくむための導水施設・木樋はすべての生き物源である「水」を制御するものです。それを模した埴輪は権力の象徴といえます。九州で唯一の出土です)右上写真
出土した革もしくは木製のよろいを模した埴輪(全国を見渡しても出土例が稀)
盾形埴輪、蓋形埴輪、船形埴輪(写真は三重県の宝塚1号墳)
(その他、盾・蓋・船形埴輪の台座?が出土しています)これら家・囲・木樋・蓋などの形象埴輪は、当時の神聖なお祭りの様子を古墳の表面で埴輪を使って表現したものです。当時の最先端の祭式を現した九州でも貴重な埴輪群が御塔山古墳に伝わりました。
杵築市のサイトによれば築造時期は5世紀前半。
https://www.city.kitsuki.lg.jp/kanko_rekishi/rekishi_bunka_bunkazai/12/3468.html
マップに墳丘がある方向は竹やぶだった。
これは入れないパターンかと思いつつ、上ってきた車道を歩いて降りた。
右手に見える別府湾。
ズームすると南岸のコンビナートが。
右のほうをズームすると、くじゅうの山々も見えた。
カーブの端に小さな立て札が。
そこが墳丘への入り口だった。
ロープが張ってあってわかりやすい。
明るい日が差し込むが、眺望はない。
山の上に築かれたパターン。
ロープの向こうは結構な急傾斜。
頂上の墳頂に到着。五輪塔?があった。
東の方向。
木々が密生していて眺望は全く無かった。
長居はせずに降り始める。
足元を見ると拳大の石。葺石か。
滑らないように慎重に降りて、 道路に戻った。
墳丘からではないが、素晴らしい眺めだった。