墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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祇園原古墳群 52号墳・48号墳(弥吾郎塚)・47号墳(機織塚)<新田原古墳群 宮崎県児湯郡新富町大字新田

前回の56号墳・水神塚から、48号墳・弥吾郎塚に向かって道路を南へ向かう。距離は300mほど。

 

その中間点で、畑の中にあった52号墳。左が前方部、右に後円部。

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52号墳の先に、群中最大の48号墳・弥吾郎塚があった。

後円部斜め前から、左奥に前方部。

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後円部先端側から。後円部の高さは10m近くある(9.8m)

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後円部墳頂に上がらせていただいて前方部方向を。

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雄大な墳丘は全長94mで、古墳時代後期では南九州最大の大きさになるそう。

https://www.town.shintomi.lg.jp/1119.htm

 

後円部から北側を。

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中央が52号墳、その右に56号墳(水神塚)の前方部、その右上に68号墳、さらに右のハクモクレンの背後に58号墳(百足塚)の前方部が写っている。 

 

前方部に移動して、前方部から後円部を。

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前方部右裾の斜面から。

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そこから麓へ降りて。

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見事な周溝が残っていた。 

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さらに引いた位置から。

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横からパノラマで。左が前方部、右が後円部。 

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検索していると、「 新富町文化財調査報告書 第30集 祇園原古墳群3 国指定史跡「新田原古墳群」史跡整備にともなう発掘調査概要報告書(3)  」という資料に行き当たった。

その資料(4頁)によれば、祇園原古墳群では5世紀前半に大久保塚古墳が築かれた後、半世紀の間をあけて6世紀になって前方後円墳の築造が爆発的に増加し、墳長60~100mの大型墳と墳長60m以下の中規模墳が築造されたが、その多くで見られる埴輪から前者は百足塚古墳→59号墳→弥吾郎塚古墳→68号境と連続し、後者は水神塚古墳→機織塚古墳→52号境と連続して築造され、大型墳と中規模墳の各グループが併行して築造された可能性が高いと考えられるそうだ。

つまり、古墳群全体としては中小の円墳を含めた階層構成型の群構造であると考えられるとのこと。

 

現地説明板にあった案内図を再掲。

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また、弥吾郎という名称はどこからかと思っていると、下記のスタルペスさんのブログで「弥五郎どん」という巨人伝説が南九州にあることを知りました。

https://ameblo.jp/nobuyuki1010/entry-12499954225.html

 

Wikipediaによれば大人弥五郎(おおひとやごろう)、弥五郎様(やごろうさま)とも呼ばれるダイダラボッチのような大男で、人々を困らせたり助けたりしたのだそう。

下記の宮崎県のサイトにも「隼人族悲運の主人公」として紹介があるが、養老7年(720)の「隼人の乱」での隼人族側の首長であったのが「弥五郎どん」とも伝わるとのこと。今でも弥五郎信仰が地元の祭りとして続いているそうだ。

https://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/chiiki/seikatu/miyazaki101/shinwa_densho/085.html

 

48号墳・弥吾郎塚の見学後は、南のT字路を左に折れ、丘を登って47号墳・機織塚へ。

左が後円部、右が前方部で、前方部左裾が道路に接している。 

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その前方部左裾から、後円部方向。

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前方部上に上がらせていただいて、後円部方向を。 

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そこから望む台地下。中央やや左、枝の背後に52号墳が写っている。 

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後円部から前方部を。前方部先端に向かって開く形。

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前出の資料によれば、この47号墳に続いて52号墳が築かれる(中規模グループとして)