第2古墳群には駐車場が2か所あって550mほど離れている。
前回の92号墳まで歩いてきてから一旦南側に停めた車に戻って北側へ動かした。以前のエントリで、広いので車で回った方がよいと書きましたが、全部廻る場合は歩きのほうが行ったり来たりしなくてよいかも知れません。
そこにあった説明地図(左が北)
駐車スペースのすぐ後ろに小円墳。
その後ろのハクモクレンの脇にも1基(97号墳)
その北側に前方後円墳が3基、数十メートルの近さで軸を揃えて(後円部ほぼ北向きに)並んでいた。
南西側の1基は99号墳。前方部右裾側から。
前方部に上がらせていただいて後円部方向を。全長は60mほどでしょうか(グーグルマップから推測)
99号墳の後円部墳頂。右上に100号墳が写っている。
後円部から振り返った前方部。右に駐車場。
99号墳の東側には95号墳。全長は80mほどでしょうか(グーグルマップから推測)
パノラマで。
裾から見上げる95号墳の後円部。
鞍部から上がらせていただいた。
鞍部から見る後円部。
鞍部から振り返った前方部。
なぜか後円部墳頂での写真が抜けていた。
西都原古墳群に着いたときから雨が降り出していて、墳丘の濡れた草の中を歩き続けた靴は中まで水浸しとなっていました。
ですので、集中力が切れてしまったのでしょう。
前方部へ移って、振り返った後円部側。
雨に濡れた蕾。
その南東側にあった円墳は93号墳。
後ろのハクモクレンが満開だったので寄った。
滝のしぶきのような勢いが感じられました。おかげで集中力回復(?)
99号・95号の北側には、形を美しく整えられた100号墳。
前方部右裾側から。
現地説明板があった。
100号墳 ~古墳時代前期の前方後円墳~
平成10~12年度(1998~2000)に墳丘測量、地中レーダー探査、墳丘全面の発掘調査を実施しました。墳丘の規模は、墳頂57.4m、後円部径32.4m、前方部長26m、同前面幅17.3mで、後円部は3段、前方部は2段に造られています。前方部はくびれ部側が非常に細く、先端部が緩やかに広がっており、墳丘表面は葺石で覆われています。後円部墳頂には、円形の墓壙(直径約11.5m)があることがわかっています。後円部墳頂付近から出土した土師器の特徴から、4世紀前半~中頃に築造されたと推定されます。
地中レーダー探査
発掘調査に先立ち、墳丘とその周辺の地中レーダー探査を行いました。その結果、後円部中央付近では、約1.8mの深さに長さ5~6m、幅2~3m程度の強い反応が確認されており、埋葬主体部と考えられます。
また、墳丘に沿うような形で、周辺とは異なる強い反応がありました。これは、本来の周堀の形状を示している可能性があります。整備
発掘調査等の成果に基づき、平成13,14年度(2001、2002)に実物の葺石を露出した形での整備を実施しました。墳丘や周堀は保護土で覆った上で硬化処理し、葺石は欠落部分の修復を行わず、発掘調査当時のままの姿としました。
当初の整備から10年以上が経過し、見学者に古墳本来の姿を理解してもらうという所期の目的は達成されたと考えられるため、平成26、27年度(2014、2015)に古墳の保存と継承という観点から、盛土と芝貼りによる再整備を実施しました。今回の整備では、墳丘を覆った盛土で段築成を表現しており、築造当時の形状を理解できるようになっています。
前方部裾で一段上がって。
前方部端から後円部を。くびれがスレンダー。
右上に99号墳、左端に95号墳。
さらに左(東)を向くと95号墳。
100号墳の北は台地端。
100号墳後円部から東を見ると、奥に葺石をまとった1基が目に入った。
埴輪も立てられている。
方墳だった。
葺石が復元されたのは半分だけ。
墳頂には「古墳第百一号」の碑。
101号墳から見た100号墳。
100号墳の西側、第2古墳群の北西端には109号墳。
前方部から後円部。 全長は70mほどでしょうか(グーグルマップから推測)
前方部右裾の延長方向。木々の間に100号墳の後円部が見える。
109号墳後円部から前方部。
墳頂の「古墳第百九号」の碑。
後円部の先に円墳が見えた。近づかなかったが110号墳。
109号墳をパノラマで。左端に110号墳。
公式サイトによれば、第2古墳群も3世紀半ばから4世紀にかけての古墳時代前期に築かれたが、そこに含まれる築造順は、81号墳→91号墳→100号墳→92号墳→95号墳→90号墳→99号墳→83号墳→109号墳と考えられるそうです。
第1古墳群を同じく、台地端に沿って最初は間隔をあけて築かれ、後からその間を埋めていったように感じられました。