前回の緑ヶ丘霊園から谷へ降りるルート。
下は細長い谷戸になっている。
水辺に木道があって歩きやすい。
振り返って。
途中に再び台地上に向かう階段が。
上は平地で、周囲を木々に囲まれた気持ちの良い空間になっていた。
古代芝生広場という名がついている。
地図右上の「湿性野草ゾーン」あたりが、緑ヶ丘霊園との連絡路。
「東高根遺跡」の説明板もあった。
古代芝生広場には弥生時代後期から古墳時代後期(3世紀~6世紀)にかけて営まれた集落があったそうだ。
東高根遺跡
古代芝生広場には弥生時代後期(3世紀頃)から古墳時代後期(6世紀頃)にかけて営まれた集落が埋蔵されています。この遺跡は昭和43年から昭和44年の住宅地の開発によって発見されました。その後、昭和44年から昭和45年の調査では約60軒の竪穴住居跡が確認され、広場全体では約100~150軒の竪穴住居跡があると推定されています。
神奈川県はこの貴重な遺跡とその周囲に広がるシラカシ林を保護するために、昭和46年12月21日、東高根遺跡を神奈川県指定史跡に、東高根のシラカシ林を県指定天然記念物に指定しました。弥生時代の人々の生活
紀元前3~4世紀、弥生時代になると、大陸の影響を受けた新しい文化がおこり、稲を栽培し、土器・石器のほかに銅や鉄で作った道具を利用する生活が始まりました。
弥生時代の人々はこの台地(古代芝生広場)に竪穴住居を構え、集落を形成していました。周囲の谷(湿生植物園付近)では湧水を利用して稲を栽培し、台地の周辺に広がるシラカシ林では農業に必要な鋤、鍬の柄や木製品の材料の採集、あるいはどんぐりなど食料となる木の実の採集が行われていたと考えられています。
このように東高根森林公園には弥生時代の一集落が生活する上で必要な住居跡、農耕の場所、採集の場所が保存されており、古代の人々の生活を知るうえで、重要な公園となっています。
台地上の広場から再び谷戸へ。
春の花が咲いていました。
森林公園エリアの南端にパークセンターも。駐車場完備。
中には様々な資料が。
開園40周年になるそうです。
その一画には出土遺物の展示コーナーも。
古墳時代の土師器破片。
弥生土器(のレプリカ)
稲荷塚古墳出土の埴輪片も!
これを見ているときは稲荷塚古墳が、どこにあるのかわからずじまいでした。
公園整備前、発掘中の貴重な写真(1970年代)も。